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加藤ソロの世界ーalmondの私たちー本編

本ブログは7年ほどシゲ担という生き物として幸せを吸っている私が、
JAPANEWSというアルバムに収録されている加藤シゲアキソロ曲『almond』について約3ヶ月苦しみ、踠きながら解釈したものです。
あくまでalmondの1解釈として楽しんでいただけたら幸いです。
なお、almondの解釈ブログは下記のように3部構成となっております。

  1. 前夜祭
    解釈するに至る経緯について、almondに関する予備知識

  2. 本編(今回はここ)
    almondの歌詞をメインとした解釈

  3. 後夜祭
    ツアーJAPANEWSのalmondの演出について


⚠️ATTENTION⚠️


本ブログには加藤シゲアキのプライベートの部分(結婚)など、センシティブな内容が一部含まれます。
受け入れることが難しい、苦しいという方、この先を読み進めるのはお勧めしません。
また、このブログの内容についての誹謗中傷等はおやめください。
※歌詞解釈のみ内容をご覧になりたい方は目次「歌詞解剖」まで飛ばしてください



2020年以降に作られた加藤ソロの共通点

遡り、NEWS四部作の加藤ソロ(あやめ・氷温・世界・Narrative)では輪廻転生、起承転結を想起させる歌詞の内容や演出となっていました。

特にあやめ→Narrativeは理想郷→現実の世界の変化を表しているようで、演出上も繋がり(Narrativeの最後:ステージから落ちる→あやめの最初:ステージ上に倒れる※落ちる)を見た時は加藤シゲアキのあまりに「神話的な」世界観の美しさに惚れました。

この四部作の加藤ソロにおいては、輪廻転生というキーワードにもありますが、人間である加藤シゲアキが「生きる」中でのアイデンティティの揺れや心境の変化みたいなものに焦点をあてているのではないかと極個人的な捉え方としてはそう思っています。

これを踏まえて、2020年の3人体制以降のアルバムに収録されている彼のソロについて話をしていきましょう。
2020年以降の加藤ソロは以下の2曲となります。

  • Agitato(12thアルバム『音楽』通常盤のみ収録)

  • 人情心中(13thアルバム『NEWS EXPO』通常盤のみ収録)

前述の四部作ソロの繋がりについても本人がそう思って作ったというわけでは無く、彼の思考の連続性や心境の変化により、繋がって感じる部分があるという話だと思います。

ただ、上記2曲の繋がりはあまりはなさそうですね?

そう、それぞれ単独でなんらつながりのないように見えるこの2曲が、almondの解釈にも影響を与えてくる、私はそう解釈しました。

きっかけは本人談としてAgitatoを制作・演出するにあたりオマージュしたと語っている映画『THE GREAT GATSBY(邦題:華麗なるギャツビー)』を視聴でした。

華麗なるギャツビーは、「ギャツビーという巨万の富を得て毎晩派手なパーティーを催す謎の男」の正体に迫っていくというお話です。
この作品のメッセージ性ですが、一般的には「経済的な豊かさやビジネス上の成功が必ずしも人間の幸福ではない」ということだと言われています。

これは私の解釈ですが、この映画は盛者必衰、いわゆる生死のようなイメージを強く持つ作品だと思いました。

Agitatoの演出

ツアー音楽でパフォーマンスしていたAgitatoの加藤シゲアキはまさにギャツビーそのものでした。
素性の見えない謎の男が催す宴、それに熱狂する人々。
公演に参加した人全員が加藤シゲアキの作り出したAgitatoという世界観の中にいるということになり、まさに映画内のギャツビーが開催するパーティーと同じ状況を体現していることになります。

加藤ソロの共通点

次年度に続く人情心中は、その名の通りで「心を尽くして死ぬ(直接的な死の意味でなくとも)」という意味になると思います。

2020年3人体制以降にできた加藤シゲアキのソロ曲は

  • 刹那を生きることへの悦び

  • 自分で作り上げた誰にも奪われない幸せ

  • 生死さえも恐れない狂気的な感情の見え隠れ

  • 圧倒的な覇者である一方で不意に崖から落ちそうな危うさ

これらが共通しており、彼の作り上げる「加藤シゲアキ」という人物像が浮き上がってきます。

この共通点がalmondだけでなく、加藤シゲアキという人間の今を解釈をする上で大きなベースとなることを意識しておくと良いのではないでしょうか。

🔸ひとりごと
エンターテイナーとしてたとえ死さえも畏れない強さと危うさこそ、加藤シゲアキの魅力の真髄にあるものだと思います。
対してオタクは母性本能を隠しきれません。なんとしても守りたいと思わせる男って罪深くないですか。
あぁ、守りたい、二の腕のぷにぷにを。。

歌詞解剖

⚠️注意:歌詞の引用について

本媒体(note)はJASRACとの連携(契約)をしておらず、歌詞の部分引用でも非営利営利関係なく権利の関係上使用料を求められるケースがあるとのことです。
そのため、歌詞の範囲でお示ししようと思います。

almondの全歌詞は以下のJASRACと連携しているサイトか、アルバムに封入の歌詞カード、サブスク媒体で聴きながら見ることができます。

almond  - 加藤シゲアキ(Uta-net)

ぜひお手元で照らし合わせながら読み進めていただければと思います。

前提知識のおさらい

前回の前夜祭ブログにおいて、経緯と共に楽曲「almond」を解釈するにあたっての植物のアーモンドに関する前提知識を説明していました。
今回歌詞を詳しく見ていくにあたり、やはりこの前提知識がないとイメージがぼやけてしまう可能性が高いので、簡単におさらいしていこうと思います。

アーモンドの花言葉
アーモンドは実と花で表裏一体のような花言葉を持っていました。

  • アーモンドの実の花言葉:軽率、無分別、愚かさ

  • アーモンドの花の花言葉:真実の愛、希望、永久の優しさ

アーモンドに関する神話
7月24日OAの「アフター6ジャンクション」にて、ゲスト出演した加藤シゲアキがalmondについて語っており、この曲の元となる神話が彼の口から語られていました。
内容からソースは以下の神話だと考えられます。

ギリシャ神話の一片である、
王女フィリスと青年デモフィーン(デモポオン)との伝説

トロイ戦争からの帰り道、船が難破し、トラキア(現在のブルガリア)に漂着したデモフィーンは、王女フィリスと恋に落ちます。王の助力で船が修復され、再び航行することが可能になったデモフィーンは、本国ギリシアでの用件が片付き次第戻って結婚することを約束しますが、哀しき男のサガと言うべきか、ギリシアでデモフィーンはフィリス姫よりも美しい少女に出会い、恋に落ちてしまいます。
フィリス姫は、毎日トラキアの海岸に立ち尽くしてデモフィーンの帰りを待ちわびていましたが、そうこうしているうちに、重い病にかかり、死んでしまいました。デモフィーンはそれを知り、トラキアに戻ってきましたが、彼女のなきがらは神々によってアーモンドの木に変えられていました。青年がその木にすがりついて泣くと、見事な美しい花を咲かせるようになったということです。

http://fujik5963.la.coocan.jp/labo/almond.html

歌詞の全体構成

歌詞の全体構成は物語のようにシーン別になっていると考えています。
歌詞の範囲を示しながら各場面に題名をつけておきます。

  • Chapter1:貴方と私
    歌詞範囲:uh baby ・・・朽ち果てぬmemorial

  • Chapter2:ジレンマに囚われた男、男の中の貴方
    歌詞範囲:「こんなはずじゃ ・・・「あぁまたか 」

  • Chapter3:almondの化身
    歌詞範囲:願うだけじゃ・・・虚しさに甘えて

  • Chapter4:されど貴方は尊い
    歌詞範囲:光る背中・・・identity

  • Chapter5:貴方に溶け込んで
    歌詞範囲:のぞくだけのつもりが・・hold you

まず、この歌の解釈に必要な登場人物は
主人公である男と、アーモンドになった女性です。

女性がなぜアーモンドになってしまったのか、前述の神話から読み取るのもよし、そうでない、独自解釈でも良いのです。
なぜならば、この歌に彼女がアーモンドになった経緯については書いていません。

ただ、この男は彼女がアーモンドになる過去の経緯に大きく絡んでおり、相当な未練があるようです。
この男にとって女性はどのような存在だったのでしょうか。

さぁ、加藤シゲアキのalmondの世界へ。

Chapter1:貴方と私

  • 歌詞範囲:uh baby ・・・朽ち果てぬmemorial

  • 歌詞中のキーワード

    • memorial:記念碑、追悼碑

  • 解説(補足)
    「淡い花」というのはアーモンドの花のことと思われます。
    言葉の意味にも書きましたが、記念を表す言葉の中でもmemorialというのは過去のものである、亡くなった方への追悼という意味合いが強い言葉になります。男の中で彼女は過去であったり心理的距離が遠い存在なのですね。

  • シーン描写
    女性がアーモンドになってしまった今、アーモンドの前に立った男は、
    彼女が「人間」として生きていた過去に想いを馳せる。


Chapter2:ジレンマに囚われた男

  • 歌詞範囲:「こんなはずじゃ・・・「あぁまたか」

  • 歌詞中のキーワード

    • ジレンマ:相反する選択肢のどちらをとってもどちらかに不利益が生じる状態、板挟み

  • 解説(補足)
    女性が振り切ってくれないので、男の大きな決断にジレンマが生じているようです。
    歌詞からのなんとなく感じたことですが、
    女性は男の存在自体を肯定していて、男がその決断して自分が不利益を被ったとしてもそれを受け入れていそうな雰囲気。
    対して男は、こういった状況が初めてではないようです。
    ジレンマ言うけど、この男、めちゃくちゃ罪深いのでは。。

  • シーン描写
    振り切ってくれていいと男は思っていた。その方が決断しやすいから。
    でも、決断の先に自身の不利益があることは理解した上で、彼女はなにかと理由をつけて男のこと、その決断を肯定した。
    またか、男の心はどうしようもなくざわついた。

Chapter3:almondの化身

  • 歌詞範囲:願うだけじゃ・・・虚しさに甘えて

  • 歌詞中のキーワード

    • 苦味

  • 解説(補足)
    自己犠牲なお、男を肯定した彼女。
    そんな彼女に男ももたれかかって甘えます、それがたとえ虚な空間であるとしても。

    では、男はなぜ「虚しい」と感じたのか。
    彼女には「本当の自分」を出していないという自負や罪悪感からだと考えます。
    本当の自分を出してしまう怖さも男の中にあったのではないでしょうか。
    そんな男自身の罪深さを「苦味」という単語で表していると思います。

    また、「苦味」の正体について深掘りしていきたいと思います。
    私たちが食べている食用のアーモンドはスウィートアーモンドと呼ばれる品種で、野生のアーモンドはビターアーモンドと呼ばれます。
    そして、ビターアーモンドには青酸配糖体という毒性があります。(一説には50粒で致死量とのこと)

    その「苦味」のあるビターアーモンドを「噛み砕く」行為は、男の贖罪や自⚪︎行為ともとれますが、創作者加藤シゲアキの中では「花言葉の化身」になるという意味も含まれていると思いました。
    そう思った経緯を少しだけ書いていこうと思います。

    加藤シゲアキの創作性ー毒性のある植物を食べるー※若干のネタバレ注意
    2018年からan・anで連載されていた彼の小説『ミアキス・シンフォニー』では登場人物が食用ではない植物を「飲み込む(食べる)」というシーンが2つほど出てきます。

    それが#3 の紫陽花と最終章に出てくる朝顔ですが、この二つには
    「普段鑑賞する分には美しいが、人体に影響を及ぼす"自然毒"をもつ」
    という共通点があります。
    詳しい物語の展開はネタバレになるために伏せますが、花を飲み込んだ人間は飲み込んだ花の花言葉に運命を大きくで左右されているのです。
    つまり、キャラクター自身が「花言葉の化身」であると考えています。

    上記のような加藤シゲアキの作品性を見ると、アーモンドを噛み砕く男は、その瞬間に「花言葉の化身」になったのではないかと解釈できるのです。

    アーモンドの実の花言葉は軽率、無分別、愚かさ
    つまり男は彼女にとって無分別で愚かしい存在になったということではないでしょうか。

  • シーン描写
    彼女がアーモンドになってしまった今、男は願うだけの無力で愚かな存在だ。
    許してくれとは言わない。
    彼女から落ちるアーモンドの実を噛み砕き、男はアーモンドの木に寄りかかった。
    虚しさだけがそこにあった。男はその虚しさに縋った。

Chapter4:されど貴方は尊い

  • 歌詞範囲:光る背中・・・identity

  • 歌詞中のキーワード

    • 光る背中

  • 解説(補足)
    光る背中”って何!?
    背中ピッカーーン✨みたいな!?
    そんな人いる??

    聖おにいさん!?(それは友人K)

    そう、この「光る背中」という違和感しかないワード。
    驚くなかれ、調べてみると以下のような意味の言葉が見つかります。

光背(こうはい)
仏身から発する光明をかたどった、仏像背後にある飾り。頭部のものを頭光 (ずこう) 、身体部のものを身光 (しんこう) といい、中国・日本ではこの二重円光式を主体とする。さらにその周縁に火焔 (かえん) を付し、全体を蓮弁形にすることが多く、これらを併せて挙身 (こしん) 光という。御光 (ごこう) 。後光 (ごこう) 。

goo辞書

聖おにいさん間違ってなかった!!!

仏や神々から発せられる後光の意味の言葉「光背」を崩して「光る背中」

えぇ・・・
加藤シゲアキやばすぎ・・・(褒めてます)(求:語彙力)

このパートは過去の人間として生きていた彼女の話、いわゆる回想シーンという扱いだと思います。
言葉の意味通り、光背のある存在は神同等の存在であるという意味ととって良いと思います。

つまり男にとって、彼女は「本当にありがたく神々しい存在」であったということになります。
ただ、光る背中に続く描写が「窓の反射 あの日会った街中」であり、彼女とはそこまで親密な関係性ではなかったようです。

さらに「信じていた偽の感謝 すれ違った生き方」という言葉。
男が主目線の歌詞のため、彼女は男に偽の感謝をしているようです。

偽の感謝、、、

「いつも応援しています!!本当にありがとうございます!!」
「貴方に救われました、そして今日も頑張れています!!」

彼女から見える男の背中もまた「光って」いたのかもしれません。
ただ、男は彼女と距離があって本当を見せていなかったから「偽の感謝」になってしまった。
すれ違いの末に男の価値観や矜持は揺らぎます。

  • シーン描写
    あの日何気ない日常の中で一瞬出会った彼女は男に感謝を述べた。
    男はそれが偽りだと知っていた。本当の自分を何一つ見ていない、いたいけな彼女とは結果的にすれ違っていく運命だった。
    過去には戻れず、病みまたは恋を患い、信じるべきものも失いかける。
    偽の感謝と知りつつも、彼女に男はまだ後ろ髪を引かれている。

Chapter5:貴方に溶け込んで

  • 歌詞範囲:のぞくだけのつもりが・・hold you

  • 歌詞中のキーワード

    • hold you

  • 解説(補足)
    最後のパートになりますが、ここは解釈が分かれるところかと思います。
    あまり具体的な描写はせずに歌詞について理解していきたいと思います。

    少し覗く程度だったのに、完全に(あえて何かに)巻き込まれて人生の深みに落ちてしまった男。
    己のことすら制御不能になってしまい、衝突は避けられない状態にあるようです。

    そうそう、英語の「nutty」という言葉の意味はナッツですが、スラングの意味として「気狂い」というのがあるそうで。
    Chapter3で噛み砕いたビターアーモンドの毒がまわり、男は気がおかしくなってしまったのかもしれません。

    気がおかしくなってしまった中でも、男は彼女をだきかかえて(hold you)守ることだけは忘れなかったのです。
    それは偽りであったとしても、男の本当に守りたいものだったから。

  • シーン描写
    些細なことがきっかけでことに巻き込まれた男。
    さらに噛み砕いたアーモンドによって、気がおかしくなり、自身の制御すらままならない。
    アクセルがきかない車に乗っているように気がおかしくなってしまった中で、あなたをだきかかえて守ることだけは忘れなかった。
    嘘で抱いても、アーモンドになったとしても、最後まで貴方を守りたかった。



歌詞解剖をしてみて

もうお気づきでしょうか。
この曲の主目線である男の正体はこの歌を作った加藤シゲアキ本人、または同じような境遇の周囲から注目を集める存在であり、アーモンドになってしまった女性は彼らのファンであると思います。

前夜祭から読んでいただいている方は、私が私たちファンの立場がアーモンドであると表現したことに標題発表当初からものすごくショックを受けていたことを知っていると思います。

気になっているでしょ?
「お前、実際に歌詞解釈してみてどうだったんだ?」って。

正直にいいますね。
・・・ありがとう、って思いました。

??

理由を話しますね。
普通、人間ってのは自分に幸せなことがあったら舞い上がって、関係者以外の存在をぞんざいな扱いをして傷つけることだってあると思うんですよ。
でも彼はそれをしていないどころか、ちゃんと私たちの存在を尊重してくれているんです。

まず、この曲を作った加藤シゲアキという男は、歌詞の中で全く嘘をついていないんですよ。
「偽の感謝」も嫌な言葉に聞こえるかもしれないけど、私たちは表向きの加藤シゲアキしか見てないので、すごく当たり前のことなんですね。
本当の加藤シゲアキを見たいと思う方もいるかもしれませんが、彼の本当を知った場合に好きではなくなるかもしれないリスクもあるわけで。
加藤シゲアキというフィクションに対する感謝であるから「偽の感謝」なのです。
これを隠さずに歌詞にする彼の誠実さは、ある種嫌われる要素になるかもしれませんが、私は変に綺麗事を言われるより好きです。

さらに、アーモンドの我々を「神々しくてありがたい存在」と置いてくれています。そして、歌詞の中(Chapter1参照)でアーモンドは花を咲かせています。アーモンドの花言葉は真実の愛、希望、永久の優しさです、そのような言葉が似合う存在であると表現されているような気がします。
このことから彼の中で私たちはちゃんと必要な存在として認識されているだけでなく、彼から尊重されている存在であることが読み取れます。

これも、そもそもアーモンドにされているから尊重されてなんかない!と思う方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、よく考えてみてください。
残念ながら、私たちは彼に直接近くで毎日会えるわけでもなければ、彼の人生に何か影響を及ぼすことも売り上げの数字や彼のお仕事への反響以外はほとんどないのです。
アーモンドは彼と私たちの距離感の例えであると考えれば良いのではないでしょうか。


お花畑かもしれませんが、解釈を通して改めて加藤担でいてよかったと思いました。
こんなに「俺のファン」大事にしてくれるって当たり前じゃないから。

誠実でいてくれてありがとう、加藤シゲアキ。
貴方には人生かけて幸せになってほしいです。
そうしたら私も幸せになれると思います。
(そしてクソうるさいファンで本当にごめんなさい)

さいごに

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
仙台公演までに書き終えるはずだったのに、私生活バタバタでオーラス終了後の投稿になってしまいました。

almondの歌詞解釈いかがだったでしょうか。
冒頭にも書きましたが、もちろん解釈の仕方は無限大なので、almondの世界観が広がる一つの説として読んでいただけたら幸いです。

さぁ、JAPANEWSツアーは終了してしまいましたが、これから後夜祭を書いていきたいと思います。
ツアーのalmondの演出について、深すぎて深海に潜れそうだったので、その様子を皆様とも共有していきたいと思います。






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