すでに「幸福」を生きていると気づかないと、他の幸福を生きることができない
あなたの人生は音で変えられる。
イーマサウンドセラピストバイオサウンド研究所アウワの鈴木祐可子です。
北海道洞爺湖リトリートが無事終了し昨日東京に戻ってきました。
今回のリトリート、参加を取りやめる方が数人おられて、色々気づくことがあった回でした。
その取りやめた方々の共通されている部分が
「喜びを恐れる」
「喜ばないことで、何か目的を達成する(喜びがないことで得られる別の喜びがある)」
と言うことだったんです。
病気を辞めるにしても
仕事で自分自身を表現していくことにしても、
豊かにお金を持って、喜びに溢れて生きることも
それを望む一方で、
そもそも喜びや幸せを得ない目的を持っていれば、
やはり手に入らないわけです。
これって、人生の土台になるところなので
自分の幸福はどのような感情や状態か?をまず明確にしていくことを、真っ先にやらないと、
望む人生を創りにくいんだなー……と痛感しました。
嫌な言い方をすると
「喜ばないと言う幸福」「不幸と言う幸福」を生きていると、それ以外を望んでも実現しない
ということ。
今回のリトリートでは大変少人数だったので、
自分にとって幸福とは何かと言うことを
とても深く掘り下げることができました。
今日はその内容をシェアしたいと思います。
幸福を外側で判別しているから
幸せにならない
「幸福感」と言いますが、
感情(◯◯しい、◯◯い)の言葉で話そうとすると、「嬉しい」が近いかなと思います。
この「嬉しさ」って、測れないものですよね。
なんか目盛りがあるわけでもなく、感じることによってでしかわかりませんから、本来とても内的(個人的)で見えないもののはずです。
ところがSNSが発達した現代では、
幸福を目にみえるようなものとして測ろうとしている人が多い気がします。
だけど、
これらのものって、単に「金額が高い」とか「価値が高い」とか「非日常」とかってことで
そこと幸せかどうか・喜びがあるかどうかは、よく考えると
あまり関係はないです。
だけど、
お金があれば幸せなのではないか
高級品を持っていれば幸せなのではないか
非日常(ルーティンを過ごす自分とは違う毎日)を送っていたら幸せなのではないか?みたいな
「そう言うのって幸せだよね」というステレオタイプな幸福観を持っていて
「自分にとって、幸福ってなにか?」が掴めていないからこそ、
それが現実化しない・叶っていないだけかもしれません。
つまり、自分にとっての幸福観が明確ではないから
意識できないし、意識できない(周波数を発しない)から現実化しないのです。
満たされない・喜ばない
と言う幸せがある
私は一時期、家庭内でトラブルが多く
「なぜこんなことを私は起こしているのだろう?」と振り返ったときに、
私が幸せでいると、
親に『幸せな大人に育ててやった』恩を売りつけられるのではないかと恐れていたことに気づいたことがあります。
つまり、
自分がものすごく喜びに満ちて、もうこれ以上の幸せは無いというほど満たされてしまうと、
親にそれを奪われてしまうかもしれないと言う恐れを持っていたのです。
もちろんそれは、信じ込みであり、
私の過去の体験や記憶から作られた幻想なのですが、
これを信じている私にとっては
「喜びに満ちないで済む」「親に奪われずに済む
安心」と言う安心感(幸せ)がありました。
またお客様の中には、
『自分は役に立たないので、罪を贖うために、我慢や忍耐をして生きる』
とか
『自分が価値があり、幸せになると
自分を産んだ親の価値を上げてしまうのを避けるために、自分が無価値で不幸でい続ける』
などの喜びを生きていた人もいます。
役に立たない罪を贖うことで、
善良な人でいることができる幸せがあり、
自分が無価値で不幸でいることで、親に復讐できる幸せがあるのです。
その幸福を生きていることに気づかない限り、他の幸福を生きる事は難しくなります。
病気や人間関係が改善しない人は
もしかするとこのようにご自分が認識していない幸福を生きているかもしれません。
ここについては来月あたりにセミナーを開催して、皆さんにお話をしたほうが良さそうなので、急ぎ準備をしています。
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