見出し画像

「もどかしい気持ち」に寄り添う想像力: note、〆さんの「元従業員として思うこと」(2020/06/17)を読んで

note、〆さんの「元従業員として思うこと」(2020/06/17)

https://note.com/hakarame/n/n4b307acd9820

 久しぶりに心にひびく、実体験を冷静に俯瞰して書かれた文章を読んだ気がした。私はアップリンクに何回か行ったことはあるものの足繁く通っていたわけではない。通好みで儲からなそうな映画ばっかりかけてる、それで採算取れてるのへええ、コロナ下でも攻める姿勢すごい、社長がクマっぽいといった通りいっぺんの印象を抱いていた、一映画愛好家に過ぎない。

 それでも、今回の元従業員の訴訟にはなんとも胸を突かれる思いがした。その後〆さんの文章を読み、淡々と綴られる中で多岐にわたる点が提示されていて、根深い問題であると同時に、大袈裟だけれどひょっとしたらある時代の転換点に立ち会っているのではないのかとも感じた。かわいそうという感情論に終始することなく、語られたことのいくつかと、また語られなかったことにも私なりに思いを馳せてみたい。

 まず文中の、当事者が抱いているだろう「もどかしい気持ち」について。社長が素早く対応したこともあって(後に原告側の提案を断りなくほぼそのまま自らの声明としていたと指摘されている)、ざっと見渡してもことアカデミアの人たちや著名映画人でこの問題を正面から取り上げている人は驚くほど少ない。良くも悪くもアップリンクがニッチな存在なので世の大勢は興味がないから大手メディアは深くは掘り下げないし、一方でそのニッチな中ではアップリンクの世話になっている人が圧倒的に多いため、残念ながら絶妙なエアポケットに入ってしまったように見える。

 実際問題、アート系(という呼称も語弊があるが)映画関係者でアップリンクとこれまでも/これからも無関係でいられる人はいるのだろうか、もし私が映画関係者でアップリンクで一回でも何かやらせてもらっていたら、やはり表立って声は上げづらい。しかもSNS等で実名で何か姿勢を示せば、曲解上等で孫子の代まで何の彼のと責められ続ける今日ではなおさらのこと。言ったとしても「パワハラヨクナイ」程度が関の山だろう。その中で正面切ってそれ以上の声明を出した何人かの映画人の勇気は讃えられるべきだし、彼ら彼女らの名前をしっかり覚えておきたい。

 私が映画関係者でもないのに原告の声明や〆さんのnoteに反応するのは、つい先日までアップリンク社と重なる点の多いいわゆるブラック会社に在職していたからだ。書かれているほどの労基法違反はなかったものの、こちらも一代で築き上げたオーナー社長がのべつまくなしに怒鳴り散らしていた。怒りの原因が明らかに理不尽なものでも、彼の謎理論(理屈付けは恐ろしくうまい)で必ず誰かしらのせいになった。顔を真っ赤にして唇を歪ませやくざばりの怒声を上げる社長を見て、私もこの人脳の血管ブチ切れて死なないかなと思うことはよくあった。私はクリエイティブ系の職種で、社長の鶴の一声による入稿直前の理不尽な総取っ替えが日常茶飯だったから、あるとき限界が来てまったく企画を立てられなくなったため、結局辞めることになった。

 だが、今にしてみれば辞めた根本には「怒鳴り声」があったと思う。とにかく毎日誰かが怒鳴りつけられ、自分をふくめ、今は火の粉が降りかかってこないからとりあえず安心という死んだ目をした従業員が身を固くして仕事をしていた。そんなオフィスは現実でもフィクションでも決して珍しいものではない。よくある話である。そんなところ辞めればいいのにと他人は言うしその通りなのだが(これについてはまた別に根深い問題がある)、この雰囲気は体験した人間でないと、抜けられなさもふくめ「『本気』では想像できない」。そしてこれを想像できるかできないかが、この問題の少なくとも心情的な点では鍵になっていると思う。そしてもう誤解を承知で言うが、特にいわゆるエリートの人たちはこれを肌感覚で理解することは難しいだろうし(非難しているわけでは決してない、経験しないに越したことはないのだから)、だからこそ、深い構造的なところまで向き合うことが難しいのだと思う。

 だけど怒鳴り声もふくめて社長の個性であり、その才覚で事業が続いているんじゃないの? 芸術でごはんを食べてくって、そういうことも込みなんじゃないの? SNS上でそんな意見も目にしたし、私も善し悪しはおくとしても、強烈な個性の持ち主が牛耳る場での常識の埒外でのみ経験できることがあるのだろうことは否定しない。というより、芸術を旗印にしたビジネスの現場で働いたことがないので、制作現場なら暴力や恫喝が当たり前という神話を体験に基づいて判断できないというのが正直なところだ。ただ一つだけ言えるのは、集団の人員が増えて組織となったとき、たとえ万に一つの輝かしい個性であっても親方のカリスマだけでやっている家族経営的手法は行き詰まり、グロテスクな形で歪みが出るということ。同じ釜の飯が行き渡らなくなった時点でと言うべきか。

 組織の理想がいかに高邁で実績がどれほど素晴らしくとも、この歪みから生じる痛みを無視して良いものだろうか。歪みに巻き込まれた人は我慢が足りなかったのだろうか。単に不運だったのだろうか。そこに想像力を働かせることはできないだろうか。先のブラック会社も当初は20人程度の良くも悪くも家庭的なところだったが、100人を超えたあたりから社長とのコミュニケーションがおかしくなってきたと聞いた。社長はなんでも自分を通さないと不安で仕方がないから、従業員、事業内容、取扱商品がどれだけ増えても、瑣末なものもふくめすべての決裁を自分でしないと気が済まない。当然カバーしきれずストレスがたまるし、規模が大きくなればその分失敗や気に入らないことだって増える。

 私のいたときには従業員200人あまりになっていたが、仮に社長がどんな超人でもそれだけの規模の仕事内容をすべて把握し指示を出すことなどできやしない。どんどん忘れるしフォローできないから、どの案件も一から説明する。説明が足りなくても余計でも怒鳴られる。失敗を報告すれば100%社長の指示でやったことでももちろん怒鳴られるし(自分の指示は見事に忘れている)、隠して後々発覚すれば怒声では済まない。そして集団の時代にはとても望めなかった規模の成果はすべて社長の手柄になる。よくやったとお愛想程度に担当者の肩を叩いても、自分がいたから出来たことと、社長の頭の中ではきれいに整理がついている。

 今回の問題について、もちろんパワハラが悪いことは重々承知、でも大きな声では言えないけれどアップリンクの社長がかわいそう、これまで必死になって映画で食べていける場を提供してきたのにこんな形で非難されてという声をごく身近な人から聞いた。こんな時代だから表立っては言わないが、本心ではそう思っている人は案外多いのではないか。そして酸いも甘いも噛み分けてこの業界で生き抜いてきた義理堅い人ほど、実はそう思っているのではないか。

 受け手に少しでも考えることを要求する「難解」な「コンテンツ」がもはや見向きもされない、有り体にいえば小難しそうなものは何であれもはや残酷なほどに売れない世の中で、アップリンクのラインナップはほとんど奇跡だ。たとえ畑違いの人間でもたとえば大手の映画館や、映画でなくとも書店でもいい、今世の中で売られているものを一通り見渡せばわかるはずだ。また、芸術のみならず何につけ、競争社会で事をなすのにすべて秩序を守り進められることなどほぼないと、まともに働いたことがあれば誰でも弁えているだろう。その人は言った。怒鳴られるというけれど、自分たちの世代はそんなことは家庭、学校、社会、どこでも普通だった、生き馬の目を抜くような現場で猫なで声で指示を出したところで果たして人は動くかと。

 そうだけどと私は思った。そうだけど、でも月並みな言い方だけれど時代はもうそれを許さない。その人はアップリンクの社長よりひとまわりくらい下の歳。私はそこからさらにひとまわり下。今回の当事者の人たちは私よりもっと下だろう。誤解を恐れずに言えば、私とその下の世代はもう「怒鳴り声」に我慢ならない。打たれ弱いと笑うなら笑えばいいと思う。怒声で人を屈服させることがまかり通る時代は遠からず終わるだろう、たとえそれがより陰湿なものに取って代わられるのだとしても。今回の訴訟を見て、時代が大きく変わっていることを思い知った。改めて、声を上げた元従業員の方々の勇気に敬意を表します。

#アップリンク #Uplink #パワハラ #ブラック #訴訟

いいなと思ったら応援しよう!