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【書評】梅原猛『日本の原郷 熊野』について

【書評】筆者 : Miya      2024年12月3日


熊野という土地

 私の故郷は、和歌山県の山あいにある本宮町というところです。この地には世界遺産の熊野本宮大社があり、古来多くの人々が参拝に訪れてきました。

 その様子は、まるで蟻の行列のようだったので「蟻の熊野詣」と呼ばれました。しかし、熊野詣は容易に行えるものではありませんでした。険しい道のりを乗り越える必要があります。そこで、日常的に参拝できるように、各地に熊野の神々を祀る「熊野神社」が創建されました。北海道から沖縄まで約3000社もの「熊野神社」があります。なぜ人々はこれほどまでに熊野に魅了されたのでしょうか。熊野とは一体どのような土地なのでしょうか。

梅原猛と熊野

 この問いに一つの答えを示したのが、哲学者の梅原猛(1925–2019)です。梅原氏は十数回にわたり熊野を訪れ、その経験を基に1990年に『日本の原郷 熊野』を刊行しました。小学生の高学年の頃に初めて読み、今もたまに読み返しているお気に入りの一冊です。本書では、梅原氏が実際に熊野を歩き、古今の文献をひもときながら展開する独自の熊野論を楽しむことができます。

 『日本の原郷 熊野』において、梅原氏は熊野を「縄文文化が色濃く残る地」と位置づけます。弥生時代に稲作農業が広がる中で、熊野では狩猟採集を基盤とする縄文文化が生き続け、江戸時代中期頃までその風習が残っていたと指摘します。

縄文的な特徴は、祀られる神々にも反映されていると述べます。熊野にはスサノオが祀られています。梅原氏は、「クニツカミ」と「アマツカミ」をそれぞれ縄文系と弥生系の神と考えています。スサノオは「クニツカミ」であり、このことからも熊野=「縄文文化が色濃く残る地」という説は裏付けられるのです。

 古墳時代から奈良時代にかけて熊野は歴史の表舞台から姿を消します。梅原氏は、これを弥生文化=稲作農耕文化による国家形成が進められた時期であったためと指摘します。しかし平安時代中期以降、熊野は再び注目を集め、貴族や上皇たちが盛んに熊野詣を行うようになりました(例えば後白河上皇は生涯で34回も熊野を訪れました)。梅原氏はこの現象を「宗教の先祖返り」と捉え、日本人が無意識のうちに縄文文化に対する憧れを抱いていたと分析しています。

さいごに

 本書の価値は、熊野を縄文文化の地、日本の原郷という視点から捉え直し、歴史や神話、説話、民俗など多岐にわたる分野を考察している点にあります。本書を踏まえると、人々が熊野に魅了された理由は、古い日本の面影が残り懐かしさを感じられるためだと言えるでしょう。皆さんも、お近くの「熊野神社」を訪れてノスタルジアに浸ってみてはいかがでしょうか。

書評された本

梅原猛『日本の原郷 熊野』新潮社、1990年1月
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784106019784

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