ポル・ウナ・カベーサ
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はじめにお読みください。
https://note.com/autumn_deer/n/nb34ec3d760a7
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填 :しん
恵利子:えりこ
ポル・ウナ・カベーサ
填 :葬儀用の、シンプルな黒い靴を雑に脱ぎ棄てた彼女は
紙箱から鮮やかで華奢な靴を取り出して
白い足を差し入れ、足首のベルトを慎重に止めた。
端末をスピーカーに繋いで曲を選ぶ。
バイオリン。
僕でも知っている有名なタンゴ曲。
いつもより広めの眺めのいい部屋で
僕に背を向けて窓際に立ち
首元まできちんと止めていた喪服の上着を
ソファにサラッと落とすと
喪服のワンピースだと思ったそれは、
背中が腰上まであらわになった黒のドレス。
黒い布に囲まれて、ハの字に影を落とす肩甲骨の隆起は
中心のラインと合わさって、
下から上へむかう美しい矢印となって、
僕は、暫し、魅惚れる。
いつも会うわけじゃない。
たまに連絡がきて、たまに逢って、
たまの時間を共にする女性(ひと)。
彼女との時間は、僕は嫌いじゃない。
恵利子:「どう?」
填 :振り向いてゆっくりと僕の方に歩きながら
美しく肩の高さに差し出した彼女の右手を左手で取る。
右手を、象牙色の背中に回して引き寄せる。
彼女の左手がふわりと僕の右肩に巻き付く。
恵利子:「できるでしょう?」
填 :「・・・頑張るけど」
僕は大きく息を吐くと
優雅なバイオリンに合わせてタンゴウォークを踏む。
美しいゆるやかな諧調で。
填 :「間違えそうだ」
恵利子:「タンゴに間違いなんてないの。
人生とは違って、とても単純なのが素敵なところじゃない?
もし間違ったって、足がもつれたって、
ただ踊り続ければいいのよ」
填 :「それ、アル・パシーノの台詞じゃん」
恵利子:「そうね、ふふっ」
填 :「人生には・・・間違いはあるのかな」
恵利子:「間違いしかない人生でも
それを正解と思って過ごしていくのがいいのかな」
填 :「喪服と思えば、こんな背中のあいた服だなんて、
まさかそれも間違いとか言わないよね」
恵利子:「この服で、この曲で、見送りたかったのよ」
填 :聞けない「誰を?」を飲み込んで、ナチュラルツイストターン。
恵利子:「タンゴではね、コモンセンターっていって
二人の軸を合わせて動くの」
填 :「それもアル・パシーノ?」
恵利子:「これは・・・違うけど」
填 :顔を動かさず、眼を合わせないまま繰り返すステップと言葉
「二人の軸を、」
恵利子:「そう、合わせないとダメなの」
填 :「・・・・・・」
曲調が変わって短調に差しかかるバイオリン。
問い詰めるような低いピアノに合わせて
激しく動作を止める、プログレッシブリンク。
填 :「・・・だから呼んだの?」
恵利子:「・・・え?」
填 :「誰かをさ、タンゴを一緒に踊った誰かを偲ぶために
こんないい部屋予約してさ
一緒に踊る人が必要だから、僕をここに呼んだの?」
恵利子:「でも、踊ってくれてるでしょう?
填、上手くなったよね」
填 :「・・・どんな、人だったのさ」
恵利子:「え?」
填 :「恵利子さんにタンゴを教えた人。
タンゴで見送ろうなんて思うくらい二人の軸が合っていた人。
どんな人だったかくらい聞かせてくれてもいいじゃない。
そうだな、この曲が終わるまででいいから」
恵利子:「そうね・・・よくある話。
会社の上司で、大人で、私は小娘で」
填 :「ほんとによくある話だ、どうせ既婚者だろ」
恵利子:「案の定ね、ふふふ
しょうがないじゃない、言ったでしょ?小娘でって」
填 :「恵利子さんにも小娘の頃があったのか」
恵利子:「失礼ねぇ、そりゃかわいい小娘だったのに」
填 :「それがこんな背中だして葬式行く、黒豹みたいな女になるとは
その人も思わなかったんじゃない?」
恵利子:「一生懸命背伸びして合わせてたのよ、認めて欲しくて」
填 :「いけ好かないおっさんだなぁ」
恵利子:「小娘だからね、そういうのが大人で格好よく見えたのよ。
・・・惹かれて、、敷かれて、、抱かれたら
女として認めてもらえたって思えるのかなって、
思ってた」
填 :「・・・」
いつの間にか曲は優雅なバイオリンの旋律に戻っていた。
恵利子:「でも絆(ほだ)されてくれなかったなぁ。
据え膳も据え膳だったのに、
手を出したら面倒くさそうにみえたのかもね。
・・・ナチュラルツイストターンって、
男性が中心軸でリードして、
女性は男性を軸に円を描くようにステップするじゃない?
男性はいかにうまく円の中心軸になれるか、
女性はいかに軸に対して綺麗な円を描いてステップできるか」
填 :「そうだね」
恵利子:「そういう事が上手な人だった。
別に彼はタンゴを踊れたわけじゃないけど。
彼を軸に綺麗に踊ることに一生懸命だったのよ、小娘は。
距離なんかないくらい身体を寄せて、二人の軸を合わせて
目線は合わせないで、頬と頬をつけて、同じ方向を見て」
填 :いったい彼女はどこを見て踊ってるんだろう
今、この瞬間、身体の軸は僕に合わせていても、
凛と見すえた目線の先には誰がいるんだろう
そんなことに気を取られて、リードする足元が狂った。
恵利子:「でも、私はっっっっーーーーきゃっっ!!!」
填 :バランスを崩した彼女を庇って、慌てて支えた僕まで重心を失った。
かろうじて彼女を僕の上に乗せる体勢で床に転がる。
衝撃で端末がスピーカーから外れ
流行りの洋楽に曲は切り替わり
脳天気な音が床でシャカシャカと流れた。
恵利子:「あー!死んじゃうならさ!
一服盛ってでも押し倒しておけばよかったかな」
填 :「物騒なこと言わないの、それに、もう曲終わったよ
だから、その話は終わり」
恵利子:「・・・ねえ」
填 :「ん?」
恵利子:「ここで押し倒してよ」
填 :「いやだよ」
恵利子:「じゃあ押し倒していい?」
填 :寄せてくる彼女の顔を押し戻して顔をそらす。
填 :「だめ。
アル・パシーノのこと考えてる人とそんなことしたくない」
恵利子:「追い出してよ、アル・パシーノ」
填 :「いやだ」
恵利子:「聞かせてって言ったくせに」
填 :「あんなありふれた、つまらない話だと思わなかったからさ」
填 :彼女が僕の両頬を両手で挟んでやっと目が合う
恵利子:「もう、拗ねないで?ねぇ、さっきの曲ね」
填 :「ポル・ウナ・カベーサ?」
恵利子:「そう、邦題、知ってる?」
填 :「・・・知らない。それに、拗ねてない」
恵利子:「『首の差』って、いうの。
競馬でいうじゃない、クビの差で勝ったとか負けたとかって、アレ」
填 :「なにそれ。
・・・はいはい、
クビの差で僕はアル・パシーノに勝てないとかそういうこと?
勝つも何もどうせ最初から、
僕のことなんか呼んだら来る暇つぶしくらいにしか
思ってないでしょ」
恵利子:「違うって。俺はクビの差で幸せを無くした、みたいな歌詞なの。
『もし彼女が俺を忘れるなら、
たとえ人生を千回やり直しても
何のために生きてるのか
わからないじゃないか』って感じの」
填 :「意味わかんないね、それがなんだって・・・」
恵利子:「私が彼の事、忘れたから、死んじゃったのかなって」
填 :「は?」
恵利子:「もう離れてずいぶん経っていて、彼の事は忘れてたから。
入院したって聞いても『そうか』って思って連絡もしなかった。
亡くなったって聞いて、当時使っていた古いウェブメールみたら、
メールが来てたの」
填 :「なんて?」
恵利子:「俺の事思い出しもしないで幸せにしてるかって。
よく、人は忘れられた時に二度目の死が来るって言うけど、
俺の場合は先にそっちが来ちゃったな。
お前は大丈夫。
俺はお前の事忘れないまま死ぬから人生を謳歌しろって。」
填 :「なんだそれ、最後までいけ好かないおっさん」
恵利子:「だから、私が彼の事、忘れたから、死んじゃったのかなって。」
填 :「はぁ・・・そんなわけないでしょ。
そんな事考えて、こんな部屋とって、
そんな服で、僕を呼びだして、忘れてないじゃん。
とりあえず今日はさぁ、
大事な、、大事だった人を亡くしたんだから、
少しは優しくしてあげる。ほら座って。靴脱がすよ」
恵利子:「嫌いになったわけじゃないけど。『今』の人と今の人以外しかフォルダがないんだもん」
填 :「そうやって、愚図る恵利子さんかわいいけどね、
あーあ、どうせさぁ、僕の事もそうやって忘れちゃうんだから」
恵利子:「・・・優しくないじゃん」
填 :「そりゃやっぱり、昔の男のかっこよかった話を聞かされて、
楽しい男はいないです」
恵利子:「・・・ごめん」
填 :「精一杯、かっこつけて聞いてるけどね。
面白くない程度には面白くない」
恵利子:「・・・ごめん」
填 :「もういいよ、綺麗なドレスの恵利子さん見れたし。
覚えたてのタンゴも楽しかったし」
恵利子:「…私もいつか、填が私の事を忘れたらどう思うかなって、
あの人が私に思ったように、
私も填にそう思うのかなって思ったら、
切なくなっちゃったの。
私の方が早く死ぬから忘れられちゃうよ、きっと」
填 :「こんな何するかわからない人、一生忘れない自信あるけどね。
…ていうか俺が思ってたより
恵利子さん、俺の事好きなの?ねえ?」
恵利子:「…好きっていうか、気に入ってるよ?
間違った人生千回分より、填といる一日の方が楽しいんだもの」
填 :「一日…ね。うん、いいよ、それで。」
俺も、自分で思っていたより
この人の事が好きになってるのかもしれないな。
白い首に唇を付けて
纏めている髪をほどいていく。
彼女が僕を忘れてしまってもいい。
そいつが、千回人生やり直しても意味が無いって言うなら、
僕は百万回目に貴女に会ってしまった猫でいい。
黒豹みたいな貴女は、僕の前ではかわいい白猫で、
多分僕より先に死んでしまうんだろう。
そうしたら僕は、
貴女の傍で泣いて泣いて二度と生き返らない猫であろう。
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