ポル・ウナ・カベーサ ~ ガルデーニア
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蛍 :けい
恵利子:えりこ
ポル・ウナ・カベーサ ~ ガルデーニア
蛍 :少し遅れて待ち合わせの店に着くと
その女性(ひと)はやはりもう着いていて
カウンターに頬杖をついて、グラスを眺めていた。
眉を顰(ひそ)めてみたり、唇を窄(つぼ)めてみたり
まるでグラスの中の泡と会話をしているかと思えるほど、
表情がころころと変わる。
その景色を見るのは私の小さな楽しみで
そのためにいつも、少し遅れて来てしまう。
賑やかな店を指定するのは気付かれるまで、
少し眺めていたいからなのだ。
胸元が深めに空いた、シンプルな白いタイトワンピースは、
彼女の鎖骨から胸元の陰影と映えて
艶(なま)めかしい気がして目をそらしてしまう。
無造作に放り出している、脚のふくらはぎから足首まで
どんなに美しい曲線を描いているのか、
全く分かっているんだろうか。
その稜線を指でつぅとなぞってみたい
と、目を細めた瞬間に目が合った。
恵利子:「けいちゃん、ここよ」
蛍 :私に気づいて、花が咲いたような笑顔で
片手を軽く上げて名を呼ばれ
途端に、自分が今、どんな顔をしていたか気になってしまう。
「少し遅れちゃった。ごめんなさい」
恵利子:「大丈夫、さっき来たところだから」
蛍 :隣に腰かけると、甘いクチナシの香りがふわりと香って
そのとたんに彼女の空気に囚われる。
蛍 :「恵利子さん、今日も素敵」
恵利子:「新しい服、着て出かけたかったの」
蛍 :生演奏をしていたピアノ奏者が、
こちらをちらりと見て曲を奏で始める。
私でも知っている、有名なタンゴ曲
「あ、これ」
恵利子:「ふふっ、私がリクエストしたの」
蛍 :「セント・オブ・ウーマンの」
恵利子:「そう、ポル・ウナ・カベーサ。
あの映画、アル・パシーノも素敵だけど、
ガブリエル・アンウォーがかわいくて綺麗でいいのよねぇ
けいちゃんに、少し雰囲気似てるな、
と思ってリクエストしちゃった」
蛍 :こうやって私を嬉しがらせて、ドキっとさせるのがずるいんだ。
歳上なのに、圧倒的にかわいくて綺麗なのは
この女性(ひと)なのに。
恵利子:「ねぇ、ちょっと踊らない?」
蛍 :「えっ、私、踊れない」
恵利子:「そんなきちんとじゃなくていいじゃない、
そういう気分なんだもの。
ね、ちょっと付き合って」
蛍 :笑顔に勝てず、促されるままスツールから滑り降りる。
差し出された手を取り、大きく息を吸うと
弾むピアノと彼女のリードに合わせてタンゴウォークを踏む。
美しいゆるやかな諧調(かいちょう)で。
「間違えてもいい?」
恵利子:「タンゴに間違いなんてないの。
人生とは違って、とても単純なのが素敵なところじゃない?
もし間違ったって、足がもつれたって、
ただ踊り続ければいいのよ」
蛍 :「人生には…間違いはあるのかしら」
恵利子:「間違いしかない人生でも
それを正解と思って過ごしていくのがいいのかな」
蛍 :「女同士でこんな風にくっついて踊るのって、、、
それは間違いじゃないの?」
恵利子:「この服で、この曲よ?踊りたいじゃない」
蛍 :聞けない「何故?」を飲み込んで、ナチュラルツイストターン。
恵利子:「タンゴではね、コモンセンターっていって
二人の軸を合わせて動くの」
蛍 :「それもアル・パシーノ?」
恵利子:「これは…違うけど」
蛍 :顔を動かさず、眼を合わせないまま繰り返すステップと言葉
「二人の軸を、」
恵利子:「そう、合わせないとダメなの」
蛍 :「……」
曲調が変わって短調に差しかかる旋律。
問い詰めるような低いピアノに合わせて
激しく動作を止める、プログレッシブリンク。
「…今日、この後、誰かに会うんでしょ」
恵利子:「…え?」
蛍 :「最近、気に入ってる男の子がいるって言ってたし。
夜は予定がある、って言ってたから、
そいつと今日この後会うのかなって」
恵利子:「でも、久しぶりに会いたかったし。
けいちゃん、上手じゃない」
蛍 :「…どんな、やつなのかなと思って」
恵利子:「え?」
蛍 :「恵利子さんが、同じ男の子と長く遊ぶなんてなかなかないから。
どんなやつなのかくらい聞かせてくれてもいいじゃない。
そう、この曲が終わるまででいいから」
恵利子:「そんな…話すほどでもないのよ
ちょっと気にいってて、ちょっとかわいいだけで。
普通の子よ、ちょっと生意気かな…そんな話聞きたいの?」
蛍 :「私が聞きたいっていうより、惠利子さんが話したいかなって」
軽口をたたいて、男の話でも聞いていないと熱が冷えない。
こんな距離で触れ合っていたら
香りに溺れて、気持ちを吐露してしまいそうになる。
知られたくない、私の恋心を。
恵利子:「失礼ねぇ、そんなくすぐったい関係じゃないのよ。
たまに会って…楽しくしてるだけ」
蛍 :「こんな素敵な年上のお姉さんに玩(もてあそ)ばれて、
かわいそうに」
恵利子:「玩(もてあそ)んでなんかないけど…
まぁちょっと、勘のいい子、では、あるかな」
蛍 :「何の勘?」
恵利子:「うーん、色々かな。もちろん。ふふふ」
蛍 :「いけ好かないクソガキですこと」
恵利子:「いいの!私は今楽しく過ごせればいいの、
面倒な恋愛事はもうご馳走さま」
蛍 :「…」
いつの間にか曲は終わり、次の曲が始まっていた。
知ってるような知らないような甘ったるい映画のテーマ曲。
恵利子:「でも最近少し、私も変わってきたのかな。
使い捨てで遊んだほうが、情も入らないし楽って思ってたけど
情が湧くのもちょっと嫌じゃないかも」
蛍 :「そうなの?」
恵利子:「昔は、そういう人もいたけどね。
そうね、いろんな事が上手な人だった。
別に彼はタンゴを踊れたわけじゃなかったけど。
彼を軸に綺麗に踊ることに一生懸命だったのよ、あの頃は。
距離なんかないくらい身体を寄せて、二人の軸を合わせて
目線は合わせないで、頬と頬をつけて、同じ方向を見て」
蛍 :過去なのか、「今」なのか
いったい彼女はどこを見て踊ってるんだろう
今、この瞬間、身体の軸は私に合わせていても、
凛と見すえた目線の先には誰がいるんだろう
そんなことに気を取られて、リードに合わせる足元が狂った。
「あっ、ごめんなさい」
恵利子:「大丈夫。ちょっとお酒まわったよね。お席に戻ろうか」
蛍 :「うん…」
席に戻ろうとすると彼女が遅れ、振り向くと
私の知らない言葉で、
欧米人の男二人に声をかけられて返事をしている。
かっとなった私は急いで彼女のところに行き、
後ろから彼女の腰を抱いて、日本語で語気を荒げてしまう。
「なんか用ですか?!」
その瞬間、彼女が私の方に重心を寄せて
ほんの少し後ろに反り、私の耳元で囁く。
恵利子:「…ねえ、そのまま聞いてて?」
蛍 :踊っていた時より、更に近い距離で彼女の声が響き、
また頭に熱がのぼる。
「あ、う、うん」
恵利子:「女同士で踊ってないで、僕らと飲まないかって言うから
私達、カップルだからって言ったの。
そういう事にして追い払いましょうよ、ふふっ」
蛍 :「え」
品定めをするような顔で私たちを見ている男たちを、
横目で見ながら私の首に手を回す。
「え、りこ、さん」
恵利子:「ほら、ね。こっち見てなきゃだめ」
蛍 :彼女が私の首に手を回した拍子に
腕の時計の金具に首のチェーンが引っ掛かった。
恵利子:「あ」
蛍 :「あれ?」
恵利子:「そのままにしてて」
蛍 :腕は私の首においたまま、向き直って
右手を逆から回して引っかかったチェーンを外そうとする。
まるで抱きつかれているような体勢で
踊ったせいか、近すぎるせいか
少し湿気を帯びた彼女の香りが纏(まと)わりつき
上気した白い頬と、唇から少し覗く舌先から目が離せなくなって
ガムシロップの中に閉じ込められたかのように
すべてが歪んで溶けて、呼吸もできなくなっていく。
恵利子:「ほら、取れた」
蛍 :「…取れたなら、腕も外してください」
恵利子:「だーめ、まだあの人たち見てるもの。
もう少しこのままね。
あ、近くで見るとけいちゃん、睫毛長い。
髪も柔らかくて気持ちいい…
ねぇ、こうしてると本当にカップルみたいじゃない?
今にもキスしちゃいそうな…ほら…」
蛍 :「そんな顔されたら、ちょっと私、理性が飛びそうです」
恵利子:「…このまま、してみる?」
蛍 :彼女の蠢く唇から目が動かせなくなってしまって
音が消えて何を話しているのかもよくわからなくて
かろうじて言葉を絞り出す。
「もう…からかわないでください。
…どうせ私のことなんか、
男の子と会う隙間に呼んだら来る暇つぶし、
くらいにしか思ってないでしょ」
いつのまにか、
男たちがあきれ顔で立ち去ったのにも気づかなかった。
それを確認した彼女は、カウンターのスツールに座り
新しいグラスを注文する。
トニックで割った甘めのオールド・トム・ジン。
恵利子:「そんなことないわよ。
けいちゃんと会うのは、いつも楽しいもの。
かわいい後輩と会うのと、男の子と会うのは別物じゃない。
でもあれかな、さっきのけいちゃんがかわいくて
次は女の子でもいいのかもって、今のは、思っちゃった」
蛍 :「…はいはい…そんなわけないでしょ。
そいつと離れたら、また『寂しいから一緒にのんで』
って言って呼び出すくせに。
…まあ、それで私はまた、のこのこ出てくるんですけどね」
そうやって男と離れる度に私のところに戻ってくればいい。
ここにいる限り、彼女は私のところに戻ってくる。
「今」の男はいつも使い捨てなんだから。
私はずっとここにいれればいい。
いつか、彼女に、呼び出されて、
何人目かわからないけれど、つまらなかった男の話を聞かされて
慰めて、抱きしめて、キスをしたら
…貴女の一番になれるのかしら。
「とりあえず今日は、
そのいけ好かないクソガキと会ってきてください。
面白くなくて戻ってきたら、いくらでも優しくしてあげます」
恵利子:「えーけいちゃんが拗ねてたら、楽しく遊びに行けないじゃない」
蛍 :「そうやって、愚図る恵利子さんかわいいですけど、
あーあ、どうせ、可愛い後輩より男なんだから」
恵利子:「…優しくないじゃん」
蛍 :「からかうからですっ
それに、置いていかれたら、
あとは一人で飲んだくれるしかありませんからね」
恵利子:「…ごめん」
蛍 :「…お会計はして行ってくださいね、拗ねてないですよ」
恵利子:「…ごめん」
蛍 :「もういいです、綺麗な服の恵利子さん見れたし。
初めてのタンゴも楽しかったし」
恵利子:「いつかね、けいちゃんが私の事を忘れたらどう思うかなって、
私がいろんな人を忘れてきたように、
私もけいちゃんにそうされるのかなって思ったら、
ちょっと切なくなっちゃった。
これからいろんな人と出会っていって、
忘れられちゃうよね、きっと」
蛍 :「こんな何するかわからない人、
一生忘れない自信ありますけどね。
…ていうか、恵利子さんが思ってるより
私は、恵利子さんの事好きなんですよ?」
恵利子:「知ってる。私も大好きよ?妹みたいなかわいい後輩ちゃん。
私ね、間違った人生に見えても、
楽しい一日を積み重ねて生きたいの」
蛍 :「妹…ね。うん、いいです、それで」
蛍 :席を立った彼女は迎えに来た男に足早に近づき、
男が彼女の腰に手を回す。
彼女の髪に優しく唇をつける。
さっきまでその場所にいたのは私だったのに。
私に纏(まと)っていた彼女の香りが急に消えた気がして
目をそらすと置かれたボトルの、
黒猫のラベルが私を見てにやりと笑う。
行っちゃったね、と言われたようで
毒でも飲むようにグラスを飲み干す。
「オールド・トム・ジン、ください」
彼女が私を忘れてもいい。
そいつが何回、貴女といっしょにいても、もういい。
私が、百万回目に貴女に会う猫ならばそれでいい。
黒豹みたいな貴女は、私のかわいい白猫なのだ。
私より先に死んでしまうとしても、
最後の楽しい一日を一緒に過ごせればいい。
そうしたら私は
貴女の傍で泣いて泣いて二度と生き返らない猫であろう。
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