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新しいトビラを開きました。
〜今日の一枚〜
大学最後の海外旅行でイタリアに行った時の写真。このときイタリアには1週間ぐらい滞在したんですが、基本晴れで空がとても綺麗だったのを覚えています。またいつか行きます。
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こんばんは。
写真の熱が急に高まって、先ほどまで部屋の中で三脚立てて思いつくままに動き回りながらシャッターを切り、シャツから程よく汗の匂いが漂っている谷口です。
仕事を終え、晩御飯を食べ、いつも通りインスタを見ているとふつふつと高まる写真欲。。。
ドライブや旅行に行く事ができないこの状況、でも写真は撮りたい。。
でもスナップばかり撮ってきたから、誰かを家に呼んで囲まれた空間で写真を撮るなんで勇気もあんまりない。。でも人撮りたい。。
どうしよう。。
ん?待てよ、、「人」ならいるじゃないか、「私」という人間が!!
という事で人生で始めて、ひとりポートレートに挑戦しました。
学生時代に買ったマイ三脚に、いつもの相棒、nikon F3を装着(生活感丸出しでお送りしてます)。
そして、被写体がここに入ってくるであろうと想定して構図を作ります。このわけもわからずカメラを扱う手探り感が、写真を始めた時の頃のワクワク感と繋がってドキドキしました。
角度を変えたり、部屋を暗くしてみたり、あーでもないこーでもないとつぶやきながら「自分」で「自分」を撮り続けました。
フィルムカメラで撮影しているので現像するまで結果がわかりませんが、新たな表現のトビラを開いた感覚がしました。これはもっと研究する必要があるので今後も続けていきたいと思います。
話は飛びますが最近、自分では全く更新をしないツイッターを流し読みしながら違和感を感じる事がありました。
ちなみにツイッターは大学生の頃に始めて現在もアカウントは残っていますが、ある時からツイートしなくなり、最近はつぶやきをタラタラ読んだり、情報収集のために見るだけのものとなっています。
やっぱり写真が好きなので必然的にいろんな写真家さんをフォローしているのですが、最近
「コロナのせいで写真が撮れない」
「落ち着いたらまた写真撮りたい」
というようなコメントをよく見かけます。
おっしゃる通り、コロナの影響で外出ができない、人と会えない、ということで以前より写真を撮りにくくなっている状態であるのは事実です。
ただ、それは単純に「今までのやり方が通用しなくなった」だけで、「写真が撮れない」には決して結びつかない気がしています。
逆に「制限」があることで生まれる「可能性」がきっとあります。暗闇の中に小さな希望を見出し、それを大きくしていくことが、これからの時代を生き残っていく糧になるんじゃないかなーと考えてます。
コロナのおかげで自分を被写体にすることを覚えた私。明日はもっと楽しい写真が撮れる気がしてます。
それではおやすみなさい。