「私はできている」を捨てる
人生100年時代
人生100年時代と言われますが、宇宙の誕生は138億年前、地球の誕生は約46億年前、生命の誕生は約35億年前、人類の誕生はほんの20万年前と言われています。
人生100年生きたところで得られる知識などたかが知れています。学べば学ぶほど分からないことの多さ、知らないことの多さに気づかされます。
ですのでやはり私はとても「できている」とは思わない、未熟なのだと思
います。
自分の知っていることはほんの少しのこと。
だから周りの人に聞こう。
知らないことを聞くのは何ら恥ずかしいことではない。
これ分からないから教えて?
このことについてよく知っている人は誰?
今は、なんでもネット、最近は生成AIに聞くのが主流になっていてすぐ答えを出してくれるものだから、皆人に聞くことをしなくなっています。
しかし人に聞くのは聞くだけでなく相談ができます。
知識の蓄えなら誰もAIにかないませんが、
周りの人はAIにない経験と知恵があります。
それならこの人が良く知ってそうだから聞いてみよう。
聞かれたらその人がまた、さらに詳しい人にも聞く。
それならこの人のほうが知っているから聞いてみよう。
DATAでない知識、知恵がものごとの解決に結びつきます。
こんな経験からこれを学んだ。
それも踏まえてこうした方がいいのでは。
過去こんなことがあった、それ使えるのでは。
聞くことの習慣化された組織が活性化された組織です。
出社の意味
脱コロナとなり出社比率が上がっています。
出社の何がいいかってコミュニケーションと皆答えます。
ただ出社して黙って黙々と机の上でパソコンをたたいているだけなら出社の意味はないですね。仕事に関係のない話ばかりするもの確かに問題はあるも、まずはしゃべる、雑談でもいいから会話をする。会話が飛び交う職場には新たな気付きがある。知らないことを知れる。
本当に他社との違いを出すのはほんの些細な一言、思い付き、AIに現れないことです。
そうでないと皆AIになんでも聞いていくようになり、やがて同じ答えにたどり着き、なんら違いをつくれなくなってしまいます。
しゃべる場づくりををすることが出社の意味をつくります。
パワハラ撲滅
パワハラをする人は、実は自分はパワハラなどしていないと思っている人が多いです。自覚していて教育の一環とあえてパワハラする人もいます。もちろんこれもアウトなのですが、自覚していない自分はパワハラなどしない、相手にはいつも優しく接している、人にひどい言葉など発したことがない、私はいい人だと思っている人ほどやっかいです。
自覚がない、むしろいいことをしていると思っている。
それが、相手にとっては不快であったり、組織にとっても何ら有意義でないことがあります。
今一度問い直す、見直す。
それのやることの意味は?
それをやらないとどうなる?
それは誰がよろこぶ?
何のため?
やった先には何がある?
問いかけの習慣を持つ。
自分に問いかける。
私は「できている」と思うと「できていない」ことにあたってしまう。
自己肯定感をさげるのではなく「できていること」はたかが知れていると認識する。
私はまだまだ「できていない」ことのほうが圧倒的に多い。私だけでない皆そう、だから周りの人に謙虚に接する。
私の知らないことを教えてもらおうと接する。
「私はできている」を捨ててみましょう。
まとめ
「どうも知らないことが多いな」と思ったことから、人生100年時代・宇宙の誕生・出社の意味・パワハラ、一見まったく関係ないことが、「聞く」こと、「私はできていることを捨ててみること」でつながるように思えました。