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水色の鉢巻③永遠のものにしたい

1985年8月
イギリスのフォークストーンに
短期留学をしていた。
ロンドンから南東へ、海に面した静かな港町。
結局、留学先は
アメリカではなくイギリスとなり、
僕はその下見も兼ねて
3週間のホームステイをしていた。

夜の海は静かだった。
波が寄せては返す音だけが耳に残る中、
僕はビーチを歩き、岩場にたどり着いた。
そして手にしていた
水色の鉢巻をしばらく眺めた後、
強く念じるようにしてそれを海へと投げ入れた。
ただ捨てたわけではなかった。
フォークストーンの海に託したかったのだ。
思いを込めて、あの鉢巻を
『海の一部』にしたかった。

あの瞬間、
僕の中でいくつかの感情が交錯していた。
もう一度イギリスに戻ってきたいという決意。
そして、いつか失くしてしまうかもしれない
鉢巻を、フォークストーンの海と
同化させることで永遠のものにしたいという願い。

別れた相手との記憶を完全に手放すのではなく、
海という広大で深い存在に
その記憶を預けるという選択。
波の向こうへ飛び去った鉢巻は、
夜の海の闇にすっと消えていった。

それ以来、フォークストーンを
訪れることはなかった。
でも、あの水色の鉢巻は、
僕の心の中で今も海と共にあり続けている。
鉢巻を手放したことが何を意味していたのか、
当時の僕にはまだ分かっていなかった。
ただ、その出来事が今も記憶に
鮮やかに残っているということだけは確かだった。

そして、それから35年もの時が過ぎて、
僕はようやく気づくのだ。

なぜ、彼女はわざわざ会いに来たのだろう?
なぜ、鉢巻を渡したのだろう?

男というのは、無駄なことを考える生き物だ。
35年も経って「あの頃はこうだった」
なんて回想に耽るのは、
典型的な男の愚行かもしれない。
でも、今になってはっきりと思う。
彼女は僕を本気で好きでいてくれたのだと。

別れた男に、わざわざ会いに行くなんて、
普通ならしないだろう。
それに加えて、数年身に着けていた
鉢巻を手渡すなんて――
嫌いになった相手にそんなことをするはずがない。
あの時、彼女は精一杯の気持ちを込めて、
僕に別れの言葉を告げ、
鉢巻を託してくれたのだと思う。

それに引き換え、僕は未熟だった。
彼女のまっすぐな気持ちを受け止められず、
ただ怒りを抱いていたのだろう。
「一緒に受験を頑張ろう」と、
少し時間をかけてでも歩み寄れば良かったのに。
高校生になって、改めて交際を申し込む
という選択肢だってあったはずだ。
それなのに僕は、彼女の気持ちを拒絶し、
幼稚なプライドに縛られていた。

今でも記憶の中にいるのは、
15歳のさえちゃんだ。
そして、僕は今年50歳になる。
彼女も同じだ。あれからどんな人生を
歩んできたのだろうか。
どうか幸せでいてくれたらいいなと、
そう心から思う。

1985年3月17日 修学旅行 二条城にて

なぜだかみんな暗い表情の集合写真。
担任の先生と隣のM君だけが、
ほんの少しだけ微笑んでいる。
さえちゃんと一緒に写っている唯一の写真だ。
そうだ、これを撮った2か月後に、
あの水色の鉢巻を手渡されたんだ――。
そのことを思い出すと、
不思議な感慨が込み上げてくる。

おわり

2020年3月公開済ブログより転載


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