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水色の鉢巻① 鮮やかに揺れている
2020年3月のある昼下がり。
4歳の娘が僕の左腕を枕にして、
夢中でYouTubeを眺めていた。
僕はスマホを使うこともできず、
右側の窓からぼんやりと
真っ白なハノイの空を眺めていた。
そんな静かな時間の中で、
ふと35年前の記憶が胸に浮かび上がった。
それは曖昧で断片的なものだったが、
ただひとつ、
あの水色の鉢巻の
鮮やかな存在感だけは
今も心の中に残っている。
僕が通っていた中学校では、
学年ごとに決まった色があった。
僕たちの学年はブルー、
その上が緑、一番上が赤。
しかし、それは単なる色の区分以上の
意味を持っていた。3年生が卒業すると
その色は次の1年生に受け継がれ、
色は世代を越えて繋がっていく。
それに連動して、
体育の時間には女子が学年色の鉢巻を
身につけていた。
それはブルーと言うには少し軽やかで、
空色とも水色とも言える
柔らかな色合いだった。
1984年6月、僕が中学2年生のとき、
人生で初めての彼女ができた。
ショートヘアがよく似合う、さえちゃん。
もっとも、校則で女子はみんな
ショートヘアだったけれど。
男子は丸刈りという時代だ。
それでも、彼女の笑顔は特別だった。
僕たちは夏休みを挟んで、
ほんの3か月ほどの短い時間を共有した。
学校では「ディズニーランドでデートした」
なんて噂が流れたけれど、
実際に2人きりで出かけたことは一度もない。
唯一の「デート」は、彼女の友達の
いづみちゃんを交えた3人での
ささやかなお出かけだった。
それでも、僕たちは家の電話で
毎日のように話し、
他愛もない時間を共有していた。
そもそも僕たちが出会ったのは、
彼女の班で作っていた
学級新聞「瓦版」がきっかけだった。
放課後、僕は彼女たちが作業する
教室に居残り、製作を手伝うというより、
むしろ邪魔をしながら一緒に過ごしていた。
それが、自然と二人の距離を縮めた。
しかし、楽しい時間は
あまりに早く終わりを迎えた。
夏休みが明け、2学期が始まる頃から、
彼女がどこか僕を避けているように
感じられる日々が続いた。
そして放課後の教室で、
静かな声で「別れたい」と告げられた。
その理由は、交際をお母さんに反対されたことと、
受験勉強に集中したいということだった。
そのとき、彼女の友達が一緒だったのか、
それとも教室には僕たちだけだったのか、
記憶は曖昧だ。
ただ、彼女の口からその言葉を聞いた瞬間、
僕は何も言えないまま
彼女を見送ることしかできなかった。
教室を出ていく
彼女の背中を見つめながら、
心にぽっかりと
穴が空いたような感覚を覚えた。
それでも、あの頃の教室の光景や
彼女の水色の鉢巻だけは、
今でも記憶の中で鮮やかに揺れている。
つづく
悲しきハイスクール