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水色の鉢巻② 何かが変わり始めていた

14歳の失恋は、
思った以上に胸を締めつけるものだった。
どの歌を聴いても涙がこぼれ、
口ずさんでもその言葉が胸に突き刺さるようで、
泣いてばかりの毎日だった。
それでも人前では平気なふりをして、
いつも通りを装っていた。

けれど、そんな日々もある朝突然切り替わった。
2週間ほど経った頃、
僕は文房具店で参考書を購入し、
なぜか6色のペンまで揃えて
きれいにノートを取り始めた。
そして、愛用していたシャープペンを手放し、
理由もわからず高級な鉛筆に替えた。
初めて「本気で挑む」という感覚を持って
臨んだ中間試験。
その結果は目に見えて明らかだった――

1学期の期末と比べて、
クラスの順位が16位も上がっていたのだ。
もっとも、それまでほとんど勉強を
していなかったからこその『成果』
ではあったけれど、
それでも自分の中で何かが
変わり始めていた。

冬休みはさらにストイックだった。
僕はスイミングの集中コースに通い、
日々を鍛錬で埋め尽くした。
そして3年生になり、
中学校が3校に分かれると同時に、
さえちゃんとも完全に疎遠になった。
確か、彼女も同じ中学に行ったのだと思うけど、
違うクラスになっていた。
でも、その後の彼女のことは全く知らなかった。

僕はその頃、学級委員として
忙しく充実した日々を送っていた。
クラスの学級新聞「スクラム」を作りながら、
個人で「てかっ」という新聞も発行する日々。
さらには3校共同の学校新聞「TNM通信」
の立ち上げにも奔走していた。
生徒を集め、顧問の先生をお願いし、
共同制作の許可を取り、
初版を発行する――
そんな中、突然の出来事があった。
それは僕自身が学校を去る決断をしたことだった。

1985年5月頃、担任の先生に
「アメリカに留学します」と告げた僕は、
街を離れる準備を始めた。
まず父の実家がある横浜に2週間ほど滞在し、
その後、東京・練馬で
一人暮らしを始めることになった。

そんな慌ただしい日々の中で、
全く予想外の再会が訪れた。
横浜に行く前だったのか、
東京に移る前だったのか、
記憶は曖昧だけれど、
ある日の帰り道、
ふと家の玄関にさえちゃんが立っていたのだ。

「留学するって聞いたから」と、
控えめな声。
おさげがとても可愛らしかった。

僕は驚きながら答えた。
「うん、ロスかフロリダに行くつもりなんだ。」

彼女は軽くうなずくと、
「頑張ってね。それだけを言いに来た」と言って、そっと何かを手渡した。
それは、五角形に折られた水色の鉢巻だった。

言葉を失う僕の前で、
彼女は一瞬だけ微笑んだ気がする。
そして、一緒に来ていた女の子と
ともに静かに去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、
僕はずっと手の中の鉢巻を見つめていた。
あの頃の空色が、少しだけ眩しく見えた。

つづく


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