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最愛の父の死と人生のどん底

みなさん、こんにちは。
未来書き換え自分年表作成講座
認定講師の高橋奈央子です。

突然ですが、
あなたは大切な人や大切な何かを
失った経験はありますか?

今日は私が25歳の時に、
最愛の父を失ったことで、
自分の中で覚醒したヒーローの
お話しをしたいと思います。

今日の投稿が、
大切な人や大切な何かを失って
気持ちが落ちている方、
どうしていいかわからない方にとって

これから先の未来に希望を
見出すきっかけになれば
幸いです。

本日もぜひ最後まで
お付き合いくださいね。

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私が海外でナースになるため
日本で看護師を辞めたのは、
25歳のときでした。

ここから私の人生は、
大きく変わるんだ!

私は世界に羽ばたくんだ!
ようやく夢に向かって

一歩踏み出すんだ!ㅤ

そんなワクワクする気持ちで
いっぱいの私を待っていたのは、
目の前が真っ暗になるような
悲しい知らせでした。

最愛の父が病気。

悪性リンパ腫ステージ4。

看護師の私には、
それがどんな意味なのか、

これから父を待つ未来が
どんなものなのか、
嫌というほど想像がつきました。

しかも悪性リンパ腫は
私が10歳の時、
私の命を奪いかけた病気。

運命のいたずらと言うには、
辛すぎる知らせでした。

そして、
家族の必死な看病と祈りも虚しく、
半年という短い闘病期間を経て、
父は息を引き取りました。

父が死亡したのは11月27日、
街はクリスマスムード。

父の死亡届を持ってでかけた私には、
クリスマスデコレーションであふれる
街並みが白黒に見えました。

楽しいクリスマスソングも聞こえず、
私だけ全く違う世界にいるように
感じたのを覚えています。

クリスマスが近づくと
「ケンタッキーを予約しよう!」
「今年はケーキをどこで買おうか?」

そんな風にはしゃぐ父は
この世にいないんだと思うと、

大粒の涙が溢れ、
死亡届を握りしめ、
市役所で号泣したのを
今でも覚えています。

あの時は、
「これが人生のどん底か…」
と思っていたのですが、

本当の地獄は
ここからでした。

私の父は母の実家の家業を継ぎ、
小さな街のタクシー会社を
経営していました。

父があれよあれよと言う間に
亡くなってしまったので、
そのタクシー会社を誰が継ぐのか?
そんな重大な問題が
残されていました。

そこで、結婚して専業主婦だった
母が急遽、社長となり、

留学前に仕事を辞めて、
実家に帰っていた私が、
その場の流れで専務に就任することに。

タクシー会社の経営なんて
一切知らないド素人の女二人が、

男社会のタクシー業界に飛び込んで
何とかなるわけもなく…

もともと赤字だった経営は、
さらに悪化するばかり。

父の死亡保険金はいつの間にか、
会社の支払いに消えていきました。

ザ・自転車操業で資金繰りに苦しみ、
銀行に融資のお願いをしに行く
夢まで見たこともありました。

私の大好きだった父はいない、
父が残してくれたお金もない…

私の夢はどこかに消えてしまった…
私が思い描いた人生は、
父の死により振り回されている…

私はそう感じているうちに、
自分の運命までを
呪うようになりました。

悲しみとやり場のない怒りで、
通勤途中に泣き叫びながら
運転したこともありました。

そんなどん底の経営者生活を
2年ほど続けるうちに、
ある日、母がこう言いました。

「奈央ちゃん、
この生活から何としてでも
抜け出すからね」

母の目には強い意志が
感じられて、
私は、ハッと目が覚めたんです。

私が腐っていてはいけない、
私だけが諦めてはいけない、
だってまだ何も挑戦してないじゃん!

そこから私は、
タクシー会社経営について
猛勉強を開始。

母の勧める会社経営のセミナーを
受けるために上京もしました。

そこでは、
秋田の片田舎では出会えない
素晴らしい経営者たちから、
たくさんのことを学びました。

業界のトップを行く経営者さんたちが、
当時25、26の小娘に、
惜しみなくアドバイスをくれました。

私がいるのは
人生のどん底なんかじゃない。

地獄のような生活に、
仏のような人たちが手を差し伸べて
くれているじゃないか!
私はむしろ、ラッキーだ。ㅤ

そう思えるようになってからは、
行くのが嫌で嫌でしょうがなかった
さびれた事務所に週末も出勤し、

母と経営改善のための試行錯誤を
必死で続けました。

そんな毎日が1年近く続き、
会社経営ド素人だった母と私は、
少しずつ会社を立て直すことに成功。

そしてついに、
会社を買いたいという
経営者が現れたんです。

その一報をもらった時は、
タクシー会社の経営から離れることに、
寂しさも若干感じたのですが…

ド素人でも頑張れば
ここまでこれるんだ!
そう思えたら感無量でした。

その後、念願かなって、
母は穏やかな主婦生活に戻り、
私はオーストラリアへ。

オーストラリアでの挑戦も
決して楽ではありませんでした。

現に私は、たくさんの外国人が
夢半ばでナースになることを諦める
姿をたくさん見てきました。

でも私には、人生のどん底で
母と四苦八苦した経験があったから、
長年の夢を叶えることが
出来たんだと思っています。ㅤ

大切な人や大切な何かを失う経験は、
できれば味わいたくない。

でもその経験を通して、
人は必ずものすごい力を培ったり、
何かに目覚めたりするものです。

それはまるで、
自分の中に眠っていたヒーローが
覚醒するように。

ちなみに、私が、
未来書き換え自分年表作成講座を
受講した時、
あの地獄の3年間について
気付いたことがあります。

私と母が人生のどん底から
這い上がってこれたのは、
母の諦めない力があったから。

私が10歳の時に
悪性リンパ腫で命が助かる確率が
極めて低かった私の命を救うことを
最後まで諦めなかったのは、母。

当時インターネットもない環境で
私の命を救うために残された道を
調べ上げたのも母。

私がイジメられ、学校も
しっかり対応してくれなかった時に、
諦めずに立ち向かったのは、母。

母は私を何度も人生のピンチから
救ってくれていたんです。

そしてそんな母の姿を見ていたから、
私にもピンチを乗り切る
きっと火事場のクソ力があるんでしょうね。
(言葉が汚くてすいません)

そうやって、執念の女の娘は、
めげないアンポンタンになったんです。

さらに今思うのは、
私が夢を実現するためには、

父の死というショックな出来事と
母とどん底から這い上がる経験が
必要だったんだろうなということ。

そうやって思うと、
父の死は私にとてつもない
パワーを与えてくれたと思うんです。

こんな風に人生の出来事を
点と点を結んぶように俯瞰すると、

人生の辛い出来事にも意味が
見いだせるようになったり、
両親との関わりが与える影響について
気付けるようになったりします。

そんな自分を見つめる時間を
1ヶ月の講座にしたのが、
未来書き換え自分年表作成講座です。

私はこの講座を受けて、
自分の人生を何となく生きることや
人生の出来事を振り返らないのは、
もったないと思うようになりました。

だって、どんな素晴らしい本よりも、
自分の人生が一番、
私の命や人生の意味教えてくれたから。

ですから、
日々の忙しさに追われているうちに、
自分の人生を振り返り、
そこから学ぶチャンスを
逃すのはもったいないです。

仕事や家庭、生き方そのものに
モヤモヤしたり悩みを抱えている方は、

未来書き換え自分年表作成講座で
ご自身の人生を振り返る旅を
してみませんか?

あなたの旅には、
私、高橋奈央子がお供します。

辛い過去を振り返る時、
迷子になりそうな時、
感情が溢れて止まらない時、
私が伴走しますので
ご安心ください。

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興味を持って頂いた方には、
まず無料電子書籍を
読んでいただいております。

そしてさらに無料セッションを
受けて頂いた上で、
受講するかどうかを決めて頂けます。

あなたの未来が、
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