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人生で一番落ち込んだ日

こんにちは。高橋奈央子です。

今日は父の命日です。私が人生で最悪の日だと感じたあの日からもう16年が経ちました。

どうしても今日は、あの日に記憶が蘇り、父を想うと朝から涙があふれました。

私と父は本当に仲良しで、私が父を構いすぎて、父が娘を煙たがるという
珍しい親子関係だったんですね。

父が息を引き取ったあの日、秋田では粉雪が降っていました。
父は夕方に息を引き取り、私たち家族は、「家族でまた旅行したい」といって、父が買ったばかりのワゴン車で、父を乗せ、最後のドライブをしました。

大学病院から向かった先は、父がよく送り迎えしてくれた秋田高校。

私が運転して、父が後部座席に乗ることなんて今までなかったので、
なんだか山のてっぺんから見える景色すら悲しく見えたのを覚えています。

あの日から私の視界からは色が消え、目の異常でもあるのかと思ったほど、
クリスマスのデコレーションが白黒にしか見えなくなり、このまま私の人生まで終わってしまうのかと思ったほどです。

その後、たくさんの人の支えのお陰で、私は少しずつ自分らしさを
取り戻すことができました。

そして、好奇心が旺盛で、面白いこと、楽しいこと、美味しいものが大好き、創造性の塊だった父が、輝く世界を見せてくれたからこそ、私は今こうしてオーストラリアで暮らしています。

今日はそんな父が大好きだった、
楽しいことをして、美味しいものを食べる日。

毎年、夫が色々と父の命日のために計画してくれているので、シドニーはあいにくの天気ですが、ステキな一日を過ごしています。

私が人生で一番どん底にいた時に支えてくれた皆さん、本当にありがとうございます。

そして命日の日の投稿に毎年たくさんの温かいメッセージをくださる皆さんに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、この投稿を最後まで読んでくださった皆さん、
どうぞ親はいつまでも元気と思わず、ご両親との時間を大切にお過ごしくださいね。


【父との思い出写真】
父は海外旅行の添乗員でした。
父がハワイへ旅行の添乗をした時、友達と旅行に参加した母に出会ったのです。私が2歳の頃、そんな思い出のハワイへ。

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私が生まれる前に父は睾丸がんになり、片方の睾丸摘出術を受けた後、
残りの睾丸に大量の放射線療法を受けました。

子供をあきらめていた父のもとに、私という奇跡が誕生したのです。

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父は家の中でも外にでかけても、私や弟たちに楽しい遊びを教えてくれる
遊びの天才でした。

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そんな父のお葬式には、小さい頃、父と一緒に遊んだことのある
私や弟たちの友人もたくさん参列してくれました。

父がなくなり、母を大切にしたい!
そんな気持ちを空回りさせていた私が、両親と本当に分かり合うきっかけをくれた心の講座に興味がある方は、コチラの記事をご覧ください。


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