じいちゃんが死んだ
「じいちゃんが亡くなったよ。」
電話越しの妻から聞いた言葉に、形容しがたい気持ちになった。
8月の末、妻の実家のじいちゃんの体調が悪く入院するという連絡があった。
なんとなく嫌な予感がして、すぐに妻を実家に返してほどなく。
初めて彼と会ったのは、7~8年前だろうか。
妻と同棲する際に、早くに父を亡くした妻を手塩にかけて育ててくれた祖父母にも挨拶をしに言った時のこと。
地域のために、堅実に、そして誠実に尽くして生きてきた彼は、僕の生き方と全く真逆で、本当に緊張したことをよく覚えている。
それからはなるべく機会があれば妻の実家に帰るようにしていて、よく昼から一緒に酒を飲み、昔話を聞き、好きだった写真の話しや、政治のこと、時には農作業も手伝った。
リタイアしてから20年以上になると思うけれど、広大な土地に作物や果樹を植えてそれを育てることが生き甲斐で「今が人生で一番楽しい。」と、そう言っていたことを思い出す。
僕が写真家、人として彼らや、家族にできたことは本当に少なかったと思うけれど、彼らの生き様を少しでも写真や映像として記録に残せたことは心残りはあれど後悔はない。
普段は幸せな現場にいることがほとんどで、もっと美しく、他の誰とも違うものを。なんて考えがちだけれど、写真や映像の本質は記録で、それは失われてしまうからこそのものなのだと、改めて強く感じた。
せめて僕が撮った写真が、じいちゃんを思うきっかけや家族の支えになれば。
そしてこれは他の誰にでも言えることなのではないかと思った時、改めて写真を通して社会や他の皆様に届け、返したいものがはっきりとした気がする。
じいちゃん、本当にありがとう。
「彼は本当にいい人やな。」そう影で言ってくれていたこと、聞きました。
本当は恥ずかしがらずに、直接言ってほしかったよ。
僕も短い時間だったけど、じいちゃんと一緒にいることができて本当に幸せでした。
またいつか、一緒に昼間からビールを飲みましょう。
お元気で、安らかに。