人が言うこと、自分が言うこと
自分で言うのと第三者から伝えられる情報も内容は同じようでも受け取る側が感じる説得感というものは圧倒的に違うのだろう。
いくらSNSでフォロワー数が多くても、第三者が書いた情報の方が客観的で、公平に感じられるのは、その第三者がメディアとして得た信用の蓄積でもあると言い換えられるかもしれない。
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一昨日書いた記事でも運というのはある日突然にやってくる。その時に動けるか、動けないか、で今後の未来なんてコロッと変わってしまう可能性を考えると、いつでも準備万端な人はそのチャンスを得られて当たり前だよな、と思う。
かくいう私は、SNSでの発信をきっかけに商業的な経験を積めたので、できる限り、自分の取り組んでいることはこれからもこうして書き留めておきたいと思っている。それはきっと未来の自分を助けるから。
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最初のきっかけというのは昨日書いた記事でも書いた。
SNSの写真コンテストをきっかけにリアルの展示をすることができた事。
キュレーションをきちんと行っている会社なら、ちゃんとテーマに沿ったものであればちゃんと見てくれている。もちろんこのnoteもそうだ。
私が他にやっていて色々と取り上げてもらったのは「Room Clip」というインテリアの写真共有アプリだ。
昨日紹介した「Green Snap」もどちらも書籍化して、私の写真もいくつか掲載していただいた。ありがたい限りだ。
他にもInstagramでは投稿を見たライターから雑誌の取材を受けたり、百貨店の出展に繋がったりと発信する機会はどんどん増えて、私のSNSは告知botと化していた。
そんな活動をしているとさらに取材されたりして、今まで自分がしていた活動を第三者が文字にしたモノを読むと、とても不思議な気分だった。
そして自分自身より私の周りを取り囲む人たちの見る目が変わったということが起こった。もちろん好意的に応援してくれる人もいたけれど、たぶん「なんか怪しい」と思われていたんだと思う笑
小さな子どもを育てながらいつも締め切りに追われていたので、「この人はなんでいつもこんなに忙しそうなんだろう」と思っていた。と言われたこともある。なるほど…。
他にも住んでいる地域の依頼で作品を公共の場に展示したタイミングでもあり、周囲に「こういうものを作っている人」と知ってもらえたのは、(隠していたつもりもないのだけど)バレたといった具合。みんな一体どう思っていたのやら…。
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人との関わり合いがリアルになるほど、その人の行動自体より誰かが教えてくれた客観的な事実のほうが安心材料になるのだろう。
そんなことに気づいた経験ではあった。
今日はここまで。
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