お寺と本棚
写真は定期的にピラティスをするお寺の写真。
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私は仏教徒ではないけれどお寺に行くし、初詣に神社に行く。
クリスチャンでもないのにゴスペルをやっていた事もある。 特に何かを信仰することはないけれど、なんとなく座敷わらしやトイレの神さまあたりはいるって思ってる。
こういう日本人っていうのは日本にはたくさんいて、ミーハーなどと言われるけれど、だからこそ他人の信仰にも寛容になれるような文化がある気がする。
いつだって戦争を起こすのは宗教だし、その信仰するという人間の心理には興味はあるけれど理解できるかは分からない。
心の拠り所は絶対に必要だけれどそれをだれかに強要することではないんだ、とぼんやりと考えてみる。
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前記事より引用:
思想や信仰や哲学は元素のようにくっついたり離れたりしてあたりまえのように存在しています。
見えないふりは出来るけど、存在はなくならない。
認めなくてもいいけど、知らないからと遠ざけない。 それが教養なんじゃないかなと、ふと思います。 そしてその教養と寛容さがきっと今は求められているとも。
こんなことを言っていたらこの本を思い出しました。
有名な本ですよね。
息子がもう少し大きくなったら読めるように、リビングの本棚、息子のちょうど目線らへんに、すっと置いてある本。
子どもは親の言うことは聞かないでしょうから、こうして伝えたいことを本棚においてみようと企み中。
最後まで読んで下さりありがとうございます。