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少しずつ手放す

手広く色んな事に手を出しても続けるには体力も気力も必要である。特に私のような一人で作って売っている者からすると、作る行為と届ける行為のバランスを欠くと、長期的に見て良い効果を見出せないのなら、それは引き際だと、なんとなく嗅覚的に分かるようになってきた。
こういう野性的な感覚は忘れないでいたい。

この「長期的に見て良い効果を見出せない」というのは自分の精神的な負担が大きくなりすぎないか、ということ。反響とかそういう外部的なものも結果的には含まれるけれど、反響を得たいがために無理な行動をしてしまう可能性があるのは良くない。(いわゆるキャンペーンとかやりだすときりがなくなる)

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と、いうことで今まで運用していたInstagramの一つの管理を手放した。メインで使っているものはそのまま継続するけれど、今回の削除したアカウントは「作品のみ」を紹介するアカウントだった。これまでの経験で、作家と作品は切っても切れない関係で、作者が死なない限りは、「作品」単体で評価されることはないんだろうな、ってまたもや野生の感覚で悟ったからだ。
というか、作者の意向というやつを無視して作者が作品についてなんて語れないと、当たり前の事なのに、やっと気づいた、というだけなのだが。

それと、作品についてダラダラと語るのもなぁ、という気持ちと、自分が話さなければ誰がその存在を伝えるのだろうという気持ちがいつもいつもぶつかっていた。最近はほどほどに話せばいいじゃん、という具合に落ち着いた。なんだろう、慣れたのかな。一体何に?

話を戻すと、今回手放したアカウントはできるだけ作者の気配を隠して投稿したりしてたんだけど、これ楽しくなかった。やっぱりここはこう思って~とか、この色味が~とか言いたいの我慢したくなかった、というのがある。
なんだ、話したいんじゃん。というところに落ち着く。

自分が頑張ったところとか、熱が入ったところとか、誰かに伝えたいんだ。伝えたいタイミングとかその時の熱量を無視してコントロールすることはできないと、やっとその現象を言語化できたような気がする。

あとはそのタイミングが作品が完成した直後なのか、忘れたころに「そうだったんだ!」とかいきなり思い出すこともある。だからそもそも作者という自分を信頼していない。モノがそこにあればそれでいいのだ。

今日はここまで。


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