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R&Bチャートが消えた1964年③ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー

 1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領がテキサスで暗殺されてしまいました。そんな事件があった少し後の11月30日にビルボードのR&Bチャートがなくなったのです。そして12月26日にビートルズの「抱きしめたい」がキャピトルから発売されました。

 1964年はビートルズの年でした。1月20日にアルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が発売されました。2月1日に「抱きしめたい」が全米1位になり7週連続1位にとどまります。2月9日から3週連続出演したエド・サリヴァン・ショーのビートルズの映像も人気に拍車をかけました。3月21日には「シー・ラブズ・ユー」が「抱きしめたい」を2位に蹴落として1位になります。2週連続1位の「シー・ラブズ・ユー」に変わって4月4日には「キャント・バイ・ミー・ラブ」が1位になります。この週は1位から5位までがビートルズの曲でした。

 「キャント・バイ・ミー・ラブ」は6週連続1位になり、ビートルズの曲が14週連続1位になっていたのです。4月10日にはアルバム『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』が発売されました。このアルバムには「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」「マネー」「プリーズ・ミスター・ポストマン」のモータウン・レコードのカバーが3曲収録されていました。

 モータウン・レコードはベリー・ゴーディ・ジュニアによって1959年にデトロイトで創業されました。その年にバレット・ストロングの「マネー」がR&Bチャートで2位になり最初のヒット曲を出します。1961年にはマーヴェレッツが「プリーズ・ミスター・ポストマン」でホット100の全米1位を獲得しました。1963年にミラクルズが「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」を全米8位にしています。そんな3曲をカバーしていたのです。

 1964年はビートルズに続いてイギリスのバンドが続々とアメリカでヒットしていきます。デイヴ・クラーク・ファイヴ、ジェリー&ペイスメーカーズ、ビリー・J・クレイマー・ウィズ・ダコタス、アニマルズ、マンフレッド・マン、キンクス、ローリング・ストーンズなどなどがトップ10ヒットになっています。これらのバンドはシングルやアルバムでR&Bのカバーをしていました。

 1964年12月12日に「シーズ・ノット・ゼア」を全米2位にしていたゾンビーズは、1965年1月のアルバムで「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」をカバーしています。途中からサム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」のメドレーになるバージョンで、1963年のミラクルズのライブ・アルバムを参考にしたカバーと思われます。

 スモーキー・ロビンソン自身が「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」は「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」にインスパイアされて作ったと言っています。しかしサム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」もチャールズ・ブラウン&エイモス・ミルバーンの「アイ・ウォント・ゴー・ホーム」に影響を受けているのでR&Bとは継承されていく音楽なのでしょう。

 1964年のビートルズの勢いに対抗できたのはモータウンのシュープリームスだけでした。8月22日に「愛はどこへ行ったの」を1位を皮切りに「ベイビー・ラブ」「カム・シー・アバウト・ミー」、1965年に入り「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」「涙のお願い」と5曲連続1位の記録を打ち立てています。

 シュープリームスの1964年のアルバムとしてはシングル1位の3曲を収録した『愛はどこへ行ったの』と、ビートルズやデイヴ・クラーク・ファイヴなどのイギリスのバンドのカバー・アルバム『ビット・オブ・リヴァプール』を出しています。「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」や「ドゥ・ユー・ラブ・ミー」はモータウンのカバーをしたイギリスのバンドをまたカバーするという一周回った感じになっています。


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