音MADデカいし、寛容になろう
考えた記事です。
別に誰かとトラブルがあってこう考えたとかそういうネガティブな気持ちで書いたものではなく、ただふと気づいたから書いただけです。
殴り書きなので定期的に編集します
音MADって言葉がデカい。
年々デカくなってきている感覚がある。
音MADってものがニコニコに浸透してから色々な作風や界隈みたいなのが出来ていったと思うんだけど、それが気づいたらとんでもなく広がっている気がする。
自分が音MADに触れ始めたのは2012年頃で、個人的なイメージとしては音ゲーMAD全盛期って印象がある。
しっとりしすぎず、でも合わせるところは合わせるセリフ合わせを軸に、印象的なメロディやドラム等を音合わせで拾って、刻みやフレーズの繰り返しで盛り上げる感じの印象。
映像も今ほど作り込まれてはいないけど、素材そのまま配置する映像から、色んなエフェクトやモーショングラフィックス等を活用する作風が増えていった時期だと思っている。
だからこそ俺の中ではこういう作風が音MADっていう言葉で真っ先に思い浮かぶ内容だし、正直1番好きかもしれない。
しかし当然だけど、この作風こそが音MADであり他は邪道だと言うつもりは全くない。
言ってる人いたらドン引きする。
これは自分が興味を持ったタイミングでこういうものが多かったから印象に残ってるってだけで、人それぞれ音MADに触れたタイミングのメインの作風や、初めて見た音MADの作風によってその辺は変わるはず。
つまり人によって音MADという言葉から想像されるものはだいぶ違うものになるはずだ。
自分の中で特に顕著に感じるのがYTPMVだ。
自分が音MADに触れて少し経ってからその名前や作風を認識した覚えがある。
その頃はYTPMVに抵抗を感じている人達のコメントも多く見た覚えがあるが、いつの間にかYTPMVは音MADの作風(ジャンル?)の1つになっていて年々洗練されていっている印象がある。
人力ボーカロイドなんかも同じように自分が音MADに触れて少しあとに大きく流行り始めた印象がある。
暴歌ロイドのような人力ではなく自然に歌わせる人力じゃないタイプ。
なんか列挙するの面倒くさくなってきたけどもっと色々思い浮かぶはず。
とにかくそれは全て音MADと呼ばれている。
こんなにデカくなった音MADを音MADの一言に包容するのは場合によっては致命的なズレが生じる気がするから、その辺は認識した上でこの言葉を使わないといけない気がする。
音MADの合作に参加しませんかと言われた場合、その合作の軸となる作風はどのようなものか、主催はどういう作風を求めているのかを確認して擦り合わせた上で色々しないと、後々面倒が起こることも無い話ではなさそう。
また、世代によって音MADの作風の解釈は多少違っているようにも思える。
なんかこの辺は具体的にまとまってないけど。
音MADって言葉でも作者の世代や最初に触れたものによってズレがあり、世代の差が広がる事にそれは大きくなるからその辺を意識しつつ、その世代ごとの音MADへの認識を理解し、寛容になっていくと皆ハッピーなんじゃないのって話でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?