見出し画像

SDG6−水 日本の水道事情


 2015年を目標とした国際ミレニアム開発目標(MDGs)。安全な水へのアクセスがない人を半減する目標を達成した一方、安全な水にアクセスできない人を半減するという目標は達成できなかった。現在も安全な水へのアクセスがない人が世界に約7億人いると推定される。2016年、国連はMDGsの後を受けて「持続可能な開発目標(SDGs)」を採択し、2030年を目標年と定め17の目標を掲げている。

 そのSDGに掲げる17の目標のうち「すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する」を目標6として定めている。この水への取り組みについて、日本における水道の歴史を整理し、世界の水事業や問題、そして今後の国際的な取り組みについてと日本の役割について数回に分け記事にします。

日本における水道の歴史

 明治時代、近代化をとげた日本の港湾ではコレラや赤痢などの感染症が広がり、多数の感染者と死者を出していました。当時、コレラなどの水系感染症には水対策が有用であることは知られてました。水系感染症は、病原微生物に汚染された水を直接摂取することから人に感染します。

 明治20年の横浜で、イギリスから輪入した鉄管を利用し、圧力をかけて送水をはじめた。近代水道の始まりです。仕組みは、川から取り入れた水を濾過し給水をし、現在の水道と同じです。その後、南館、長崎などの港湾都市で近代水道が開始されました。感染症対策として水道給水が有効であることから、当時としては多額の費用を投じ、水道建設を実施したそうです。その際、日本人は英国人技術者から水道敷設について学び、その日本人たちが全国に水道を建設したのです。

 明治23年、水道条例を公布、水道は公営と定めました。以降、日本に水道を拡めるため先人たちは、国内法、資金(財源)の確保、水道建設の技術者育成を推進していったのです。

 昭和になり、日本の人口は約7000万人に。明治時代の約2倍。近代化も進み規模拡大を続けてました。昭和初期の東京では公営と組合による水道が混在しており、昭和12年に水道事業を統合、現東京都水道局の元となる組織ができました。その他都市でも、水系感染症対策の水道が開始されたそうです。

 現在、経済成長と都市部の人口集中が進み、総人口が約1億3000万人となった。その間、昭和30年代から約数10年間は、水需要が増加し供給不足が続いていた。戦後から経済成長を経て現在に至るまで、水不足が解消されたのは、水源開発と水道普及が拡大したことによる。

 現在の水道は、51項目に上る水質基準が定められている。安全かつ安心な水は、居住地を問わず全国でいつでも利用できる。また、水道の発展は水質汚濁に改善という過程も経て下水道により水質改善を忘れてはならない。予算確保、人材確保、法令に基づき組織つくりなど、先人の財産であることを忘れてなならない。蛇口をひねると水が出る国は、世界で2%しかないそうです。