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本をもらうという事

高校生の頃二次創作のサイトを作って公開していた。好きなジャンルを手当たり次第に書いていたので光栄にも感想をくれる人がいて、ある時「素敵なお話のお礼に自分の書いた同人誌をもらって欲しい」という申し出を受けてひっくり返った。二次創作のサイトを作っているくらいだったのでそういう本を作る人達の文化も聞き知ってはいたがオフラインで活動する気はなかったしイベントに一般参加した事もなかったので自分の人生に登場する事があるとは思わなかったのだ。高校生だったので家族に相談し、許可が出たので送ってもらった。凄く嬉しくて感想を送ったし、今でも大事に取ってある。

人から本をもらうというのは特殊なシチュエーションである。生まれてきた頃親戚の人からこぞって絵本をもらう事はあっても長じて好みが出来た人間に本を贈るのは中々に危険だ。勿論世の中には出てきた外食で何を食べるかどころか出てきた定食セットのどの皿から手を付けるかもわかるような親友がいるという御仁もいるかもしれないが、そも人への贈り物が大抵消えものである私からすれば残るものを、しかも己が大変に愛着を持っている概念を形にして贈るという事のハードルが異様に高い。世の中の贈り物を焼き菓子とタオルだけで乗り切ってきました。

次に本をもらったのは入院している最中だった。テレビはカードを買わなければ映らないし、私は北方健三の水滸伝を積読していた。これぞ千載一遇のチャンスであるとばかりに読み耽り、結局十五巻までしか読めなかった。寧ろ一週間ちょっとの入院でよく読んだ方ではないだろうか。しかしこれが同部屋で少しだけ食事の時に話をした方の心の琴線に触れたらしく、彼女が退院して病室を出る時に「よかったらこれを」と包みをくださった。
エホバの証人の案内冊子だった。読んだ水滸伝が返り新しい水滸伝が来るまで読んだ。悩みを抱えているのならエホバの証人を尋ねてごらんなさいという事が様々なパターンで書かれていたが教義とかについては一切書かれていなかったので、これは詳しく知りたいなら教会に行かないと駄目なのだなぁと思った。退院したら山程本があるので行かなかった。因みに水滸伝の十五巻以降も読めていない。文庫版が出てしまったね。

次に本をもらったのは職場でだった。私は夏生まれの割に夏の暑さに弱くその時期の昼ご飯をカルピスのみで過ごしていた。そこで働いていた人が「そんなにカルピスが好きなら」と「カルピスの忘れられないいい話」をくれたのである。そんな事ある?帰って読んでみたらなけなしのカルピスで腸チフスが治った話が山程載っていた。カルピスってそういう効果があるものだったのだな。

別の職場でもらったのがジェームズ・ロリンズの「マギの聖骨」である。人数が足りないからと応援で行った職場でお別れの際にもらった。その職場から駅に行くまでに本屋があって「これが気になる」という話はしていたけれどまさか人からもらうとは思わなかった。お陰で最新作の「エデンの祭壇」まで揃える程ドはまりしている。多分浮かばれるに違いない。

振り返ったら結構もらっていた。でもやっぱ人に贈るのは怖いんだよな。


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