お世話になった人⑪

21歳から23歳まで、アルバイトでお世話になった人たちの事を書いていますが、今日も書いていきたいと思います。今までは、ホール関係で、お世話になった人たちでしたが、厨房や洗い場の人たちにも大変お世話になったので、今回は厨房の料理長と、何故かご縁があってよくして頂いた方についてお話します。

料理長は、当時の32歳と、私とは10くらい年上で短髪の若白髪の多い男性でした。厨房の人というと、どこの世界でも怖いイメージがある事と思いますが、ここも例外ではありませんでした。

というか、初対面の人は、基本的にみんな怖いものだと思います。それも、忙しい職場だと尚更の事で、忙しいランチタイムなどに、ホール側の人間が手間のかかるような要求や、とんちんかんな事を言ってきたら、尚更の事だと思います。

場面緘黙の名残がまだ強く残っていて、総支配人からホールのテーブルが埋まるくらいになってくると、最初の頃は表には出せないということで、厨房とホールとの連絡係や、ドリンク作りなどを受け持つ所に居ることがよくあり、入りたての頃は、よく怒られて板挟みになっていたのを覚えています。それは、私にも非がある事は重々に承知しています。

だんだんと慣れていくに連れ、伝達の内容を一旦自分の中で整理して、それを要領よく厨房に伝えるという事もできるようになっていきました。そんな中で、人と一緒にいるのは楽しいことだと学んでいくのでした。

当時はスマホもありませんでしたし、読書もあまり好きではない私は、休憩の2時間という時間が長過ぎて、いつも時間を持て余していました。そんな中、繁忙期などは、店が開いてからではなかなかできないような事を先にやってしまおうと、1人作業をしていたり、それでもやることがなくなると、厨房に話をしに行ったりしていました。

料理長だけでなく、他にも私によく話しかけてくださった厨房の方は多かったと思いますが、その中でも、歳が14も離れているのに、よく話しかけてくだって、慣れてくると家にまで来て、一緒にお酒を飲んだり、2人だけで飲みに行ったりできて、話もおもしろい人がいました。当時は、思い返すと、毎日のように仕事が終わると飲みに誘われていたと思います。しかも、日替わりで、毎日、違う人だったりした時もありました。

しかし、私がそのお店を去ってしまうと、私は夜勤の仕事をする事が多くなり、しばしば連絡が入っているのには気がついていましたが、早朝だったり、なかなか連絡するには気が引ける時間で、段々と自然に疎遠になってしまうのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?