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私のクラスメイト(中学校)⑯

さて、今日も中学の時のクラスメイトについて書いていこうと思うが、私を除いて出席番号順に書いていたつもりが、数が合っていないことが少々気になっていた。

私は、中学校のクラスメイトの顔と名前、出席番号まで覚えている自信があったのだが、記憶とは儚いものである。そこで、一旦ノートに名前だけ、書き出してみることにした。なんと3人も書き忘れていたのだった。彼らは決して、影が薄いという訳ではないのに。。

男子は21人だったのだが、昨日の時点であと2人という所まできたはずだったのだが、番号がまだ⑮というのはおかしいと思っていた。

出席番号を遡り、飛ばしていた1桁台のクラスメイトについて書いていこうと思う。

彼は小学校の時は、私のクラスの隣のクラスで、話した事はないが、存在は知っていた。

背丈は平均より高め、頭髪は短め、性格は面白い事が好きで、よくみんなを笑いの渦に巻き込んでいくような存在だったと記憶している。

地元の生まれ育ちで、彼もまたお祭りが好きで、お祭りになるとお祭りの衣装に着替えて山車を押したりしていた印象が強い。勉強は得意な方ではなかったようだが、みんなを引っ張っていけるようなリーダーのようなそんな存在だったと記憶している。

生徒会に入ったり、学級委員をやるようなタイプではないが、彼が◎と言えば、みんなもそれに合わせるような暗黙の了解のようなものが存在していたようにも思える。

というのも、私が中学の時に「クラスメイト②」のパシリとなって、自転車通学の「クラスメイト⑤」の自転車のカギを抜いてしまった事件の時、私が事の真相を明らかにした場は、クラスメイト10人くらいで下校中の事だったのだが、この彼が、「大丈夫だ。お前は悪くない。②の奴が悪いんだ」と言ってくれたおかげで、私はこの日、それ以上誰からも咎められる事はなかったからだった。

しかし、実際はみんな賛否両論あったようで、次の日の朝、その話が女子や他のその場にいなかったクラスメイトにまでもたらされ、私は各方面からバッシングに遭ったのだった。それもそうだ。私にも、実際に大きな罪悪感を感じていたし、咎められても仕方ないと思っていた。

しかし、私と⑤のクラスメイトの仲が、その事で悪化することはなかったのだった。

また、彼は、副担任が黒板に板書している時に、先生の背後に近づき、背中に紙を貼るイタズラを仕掛けていたのも記憶に残っている。私たち、クラスメイトたちは笑い転げていたが、先生だけは、みんながなんでわらっているのか分からない様子で、それもまた可笑しかったのだった。

彼は、卒業後は電車で15分くらいの高校へ進学し、その後、かなり早い時期に中学の隣のクラスだった女子と結婚したと私の親友から聞いた。

また彼とは、30台前半の頃にクラス会を頻繁にやっていた時期があったが、その時ににも会っていて、変わらず元気にやっているようである。

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