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歌姫の裏側 -高峰伊織「nil」

 ※はじめに。
 本記事は一個人の主観による感想です。人により感覚は異なるため異なる意見はあって当然ですのでその点ご留意ください。


 敬愛してやまないジャズシンガー(Vtuberというよりこっちのほうがしっくりくる)高峰伊織さんの新譜「nil」がようやく届いたので、ごく個人的な感想文を。

 いやー、最初はTwitterに軽く流して終わりにするつもりだったんですけどね?140文字でこんなん書ききれるわけね―でしょ文字数nilなるわ。
 ので、ぐっだぐだと個人的主観で語り散らします。
 なお、音楽的知見には明るくないので各曲の音楽的な分析はほかの組の者におまかせします。mirrorのテクノ的な音の取り方とか、sunshowerのスウィング感とかは書きたい人が書いたらええねん。


 結論からぶっこむと、前作「POLESTAR」は『ジャズクラブの舞台で歌う、歌姫高峰伊織』といういわばシンガーの表の顔のアルバムだったのに対して、「nil」から聞こえるのは『苦しいこともつらいことも多いけれど前を向く、ひとりの女性高峰伊織』といういわばプライベートフォト。

 くすんでセピアになっても、それでも捨てられずふと眺めるただのスナップ写真、お手元にありませんか。
 「nil」というアルバムから響く彼女の歌声は、そのスナップを眺めているときの心のうずきに似ている。


 テーマである「飾らないわたし。眠っているわたし。あなたの知らない、(あなたにとって)存在しないわたし。」という発表が、曲が出てくる前からされていた。
 それを聞いたときに「そうはいっても綺麗な歌声のJazzを響かせてくれるんでしょう?」と思った組の者(高峰伊織さんのファンの総称)は少なくないはず。かくいう自分自身がその一員。
 若かったよね、吹っ飛んだよねそんなの。というのは以前に少し呟いた。


 曲調で言えば全般的に明るくポップな曲調でまとめられたなか、響く歌声はこれまでに聴いたことがない歌い方で高音から低音を操っている、というのがまず最初の『(あなたにとって)存在しないわたし。』
 そしてそこで歌い上げられる歌詞のNegativeが次の『(あなたにとって)存在しないわたし。』
 全部を聞き終えた後に幻聴する悲鳴が、最後の『(あなたにとって)存在しないわたし。』であって、すべてが飾らないありのままなんだと、そう受け取ってしまったのは果たして本意なのかどうか。
 間違いなく言えるのはこのアルバムには彼女の想い、願い、もどかしさや叫びが詰め込まれているのだな、ということ。
 (余談になるけれど、このアルバムに関してはCD版を買って歌詞カードのアートワークを見ながら聞いてほしい。モチーフを眺めているとこみ上げるものがある。)

 前半三曲はElectronicやTechnoに近いつくり(二曲目のdarlingに関してはMotownっぽさも感じるけれど)、後半がJazzのつくりなのだけれど、どちらかといえば(いままでのイメージと全然違う)その前半から強く高峰伊織という存在を感じるのが不思議なところ。
 あれだけ明るい曲調のweakで、今までと違う歌い方であの歌を作り上げた彼女は、いったいどんな気持ちであの歌詞をかいたのだろうかと思わずにはいられない。

 そんな異化現象の暴力、昼の素顔満載の「nil」の集大成が、五曲目のsunshowerだろう。
 正確には「POLESTAR」と「nil」両方の集大成か。昼から夜への移ろい、裏から表への変化として、このアルバムのラストナンバーはこの曲でなくてはいけなかった気がする。
 正直に言えばこの曲を聴いてぶっ倒れた。それくらい衝撃的だったので是非。


 そんな素晴らしいアルバムの「nil」ですが、難点が一つだけ。
 間違いなくこれは「高峰伊織のアルバム」なのですが、このアルバムだけでイメージする高峰伊織さんは、きっと実像からすこし歪んでしまう。
 テーマ通り『(あなたにとって)存在しないわたし。』なのだなと。
 なので、少しでも「nil」が気になったなら、できるだけ前作「POLESTAR」(と、できれば1stの「Daydream Jazz」も)を合わせて聴いてください。
 両方聴き終わったときに見える彼女は、最初とは少しだけ違って見えるはず。


 最後に、この素晴らしいアルバムを出してくださった鹿あるくさんと高峰伊織さんに最大の敬意をこめて。感謝します。
 それでは。

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