はじめまして!改めまして自己紹介。大学生との交流会より
少し前に、大学生と社会人のつながりの大切さについて記事を書きました。
お世話になった母校の教授に「私が何か役に立てることはありますか?」と連絡をしたところ、大学に呼んでいただくことになり行ってきいました。
学生さんに自己紹介をし、また沢山の素晴らしい質問を受けました。その時の内容を一部抜粋してこちらに共有させていただきます。
学生と真剣に向き合うため格好をつけずに、恥ずかしながら赤裸々に書いています。
主に私は学生時代どんな人で、何を学んでいたのか、なぜ銀行に就職したのか、なぜデザインスクールに進学したのかについて書いています。
他の記事を読み進めていただく中で気になる点があった際に部分的にでも読んでいただけたら幸いです。
学生時代はどんな人でしたか?
出身:大阪府枚方(大阪、枚方大好きです。)
大学:立命館大学 政策科学部 国際インスティチュート 専攻
国際インスティチュートは無くなってしまいましたが、半分ぐらいの授業を英語で受けるというコースでした。
大学時代の活動:特になし。留学生をサポートするというグループに入っていましたが適当に外国人と話していただけで、ちゃんと活動していませんでした。
ボランティア:2011年の東日本大震災後、短いボランティアでしたが参加しました。
GPA:3.4ぐらい?
私が卒業した時はGPAは出ない仕組みになっていて、今回の海外大学院受験の際に母校に問い合わせましたが、「出せない」と言われました。なので自分で計算した数値です。
留学経験:カナダ1ヶ月、オーストラリア1年、フランス6ヶ月
卒業後の進路:銀行、総合職として入行。(メガバンクの一つ)
窓口営業を9ヶ月、中業企業営業を約1年、人事部研修所3年、国際金融法人部約 2年(現在休職中)
→アメリカ大学院に進学:デザイン専攻
→現在は夏休み中でアメリカ企業でインターン中
趣味:サウナ、海外旅行、写真、料理
大学生ぐらいまでは誰かに時間を決められたり、拘束されることが苦手でした。常に自分の気の向くままに生きていたい、いわゆる気分屋です。留学していたということもありますが部活動というものはちゃんとしてきたことがない、超適当な人間でした。
勉強は頑張ろうとしていましたが、学生時代はなんだかんだ周りに流されて学びは浅かったです。当時の学びはほとんど覚えていません…
バイトは塾の講師、京都の町屋カフェで長らくバイトをしていましたがスケジュールを前もって決めるのは苦手でした。
この頃から早く海外に行きたいことしか考えていませんでした。
自分で書いていてもやばいなと思うのですが、自由人だったので、日本の会社に勤めても馴染めるか大変心配でした。
政策科学部とはそもそも何をする学部ですか?
社会には様々な問題があります。21世紀では問題は複雑化しているので、学問の細分化が進んでいます。政策科学部はこの学問の壁を越えて多角的視野をもって社会課題を解決しようとする学部です。政策科学部を卒業した人は「社会のお医者さん」になるという説明が分かりやすいかと思います。
社会の課題を解決する際に、政策科学部を卒業した人は、国際的な視点、政治、経営、環境、法律など様々な知識を持って課題解決に臨むことができる人材になるという学部です。詳しく知りたい方はご覧ください。とても面白い学部だと今でも思います。
なぜ政策科学部を選択したのですか?
この政策科学部に私はなぜ入ったかというと環境問題に興味がありこの学部を選びました。環境問題を解決するためには科学的アプローチもありますが法律、政治、環境知識、など様々な視点で問題解決をするというアプローチに魅了されました。
高校生の私は上記の理由で選んでいましたが、大学院受験を経て、自分のやりたいことが理解された今、政策科学部はまさに自分がやりたいこととマッチしているなと思います。
言い換えると政策科学部は「デザイン」という言葉は使わないものの、とても似ている部分も多いです。
学生の頃もっと真面目に勉強していて当時の知識があればどれだけデザインに生かせていたことか、と大変悔しく思います。
2回生の時のプレゼミではどんな活動をしていましたか?
中国人の准教授のもと環境問題を取り扱うプレゼミ(ゼミの前の準備クラス)に入りました。
環境問題と一言に言っても大変幅広い問題です。当時のメンバーでリサーチを重ねた結果、「水質」に絞って研究を深めることにしました。
中国とのコネクションを沢山持っている素晴らしい先生のおかげで、中国の大連と瀋陽という街に行って研究をさせてもらいました。
私も詳しくは分かっていなかったのですが、中国では政府からの制限が多くなかなか企業と協働で何かをするのは難しいそうです。ましてや政府系となると普通の日本人ではなかなか受け入れてくれないのだとか。政府系の現場にもお邪魔させていただいてインタビューをさせていただいたことを覚えています。
この時のメンバーはやる気が高い人が多く、チームワーク力は今から思っても私の中では過去最高だったかなと思えるほど密にやりとりしていました。
2回生の最後で成果発表の大会があり、優勝までは行きませんでしたが準決勝まで行き、学びが得られたプレゼミでした。
ゼミの選択は何を基準にして決めましたか?
結論から言うとゼミの選択は①環境問題とグローバルが両立できる、②教授は海外の大学院を卒業されており適切なアドバイスをえられる、という理由で選択しました。
私が参加したゼミはS教授のクラスで募集要項では日本国内の社会問題に取り組むゼミという説明書きになっていた。環境やグローバル関連のテーマを取り上げられるとは全く知りませんでした。上記で紹介した中国人の先生に「S教授にアポをとって話を聞きなさい。S教授は海外の大学院を卒業されている、社会人経験もある、あなたに合うと思います」と紹介されこのゼミに決めた。
ゼミを迷われたときは気になる教授にアポをとって自分のやりたいことを踏まえて話をしてみると適切なゼミが見えてくるかもしれません。
ゼミでは何を研究してたのですか?
環境問題を中心とした街づくりを研究していました。当時はコンパクトシティが主流でしたのでコンパクトシティについて特に注力していました。
なぜ銀行に就職したのですか?
結論から言うと、①銀行であれば様々な業界と接することができるから、②色々な部署を経験できるから、③海外業務もできるし、日本経済の支えになれるから、でした。
もともと銀行には全く興味はありませんでした。むしろ銀行だけは嫌だと思っていましたし、大学卒業後は海外の大学院に行くと、3回生ぐらいまで考えていました。これがどうして変わったのか?
海外の大学院への進学をやめた理由
高校生の頃オーストラリアに留学していたこともあり、日本の大学を卒業したらすぐに海外に戻りたいと考えていました。また、父親から「大学院までは進学しなさい」とずっと子供の頃から言われていたので、院までは進学するものだと思っていました。
そこで海外大学の進学に詳しいS教授のゼミに入り、「卒業後は海外の大学に進学したいのですがどうしたらいいですか?」と聞いたら、「卒業後は就職しなさい。一度働くことを考えてから学業に戻る方がいいです。」と言われてしまいました。当時はまだ子供でその意味が理解できなかった私は早く海外に行きたい思いが強く、でもでもゴネていました。
すると教授は「夏休みのインターンシップでもいいからとにかく働くことを考えなさい。アルバイトではなくちゃんとした仕事について、働く意味を考えてください。」と強く言われたのです。
まぁ、夏休みだけなら、と気を落としながらインターンシップを探すことにしました。そしてインターンシップを経験して、教授の言う通り、働いてから大学院に進学しようと考え直すことができたのです。こうして海外大学院の目標は少し先の話と切り替わりました。
なぜ嫌だった銀行になったのか?
夏休みだけならインターンに行ってみるかと決めたのは3回生の夏休みのど真ん中。すでにインターンシップは始まっているし、もう募集をかけているところなんてほとんどなかった。あったとしても1日インターンばかり。1日では会社説明会と変わりがない。働くことを考えることにはならない。少しでも長いインターンを…と探していたら唯一出てきたのが某メガバンクの1週間のインターンシップ。「銀行かー。興味ないけど、これが一番今最長で申し込めるインターンだからしょうがないし受けるか。」と申込み、運良く合格した。
そこで1週間のインターンに参加すると銀行に対するイメージが大きく変わりました。堅苦しいのが苦手、自由がいい、と生ぬるいことを考える私でしたが、そこで出会った銀行員の人たちはとても感じが良く、優しく、私たちが学びを得られるように大切に指導してくださったのだ。一気にそこの会社が好きになり、全然知らなかった銀行業務への理解も深まり、銀行を就職先の候補として考えるようになった。
銀行に就職
3回生の冬から始まった就職活動では銀行に応募した。もちろん銀行以外に商社、メーカー、住宅系を受けていた。その中で銀行に決めたのは初めにお伝えした3つが理由です。①様々な業界と接することができる、②色々な部署を経験できる、③海外業務もできるし、日本経済の支えになれるから。
様々な業界に携われる、複数の部署を経験できることを基準にした理由。
自分が飽き性だと知っていたから。商社などは最初に分野が決まると、そのラインから基本的に変わらないと聞いていました。それは自分に合わないと判断し銀行に絞りました。
海外業務、日本経済をサポートできることを基準にした理由。
高校生の時、オーストラリアに留学していました。日本のことを外から見つめて、日本に生まれてよかった、日本人でよかったと心から思えるようになりました。日本人として日本のために働きたいという気持ちが芽生えました。
なぜ デザインスクールに行くことを決めたのですか?
もともと海外の大学院に興味があったことは少し触れましたが、社会人になり、グローバル人材として活躍するために学位が欲しいと改めて考えるようになりました。
問題は何を専攻するか。最終的には自分がやりたいことに気づき、それを実現させるためにデザインスクールに行くことを決意しました。
もともとはMBAへの進学を考えていました。銀行ではだいたいMBAかLaw schoolの大学院に行くことを会社に入ってから知ったからです。
ただし受験準備の過程で「なぜMBAなの?卒業したら何がしたいの?」という壁にぶち当たりました。
大体の人は「MBAに行ったら出世できそう。海外に行ったらやりたいことが見つかる」と思って進学してしまうそうです。
私もその一人でした。行けばやりたいことが見つかると思って早く行きたい気持ちが勝ち、やりたいことを考えないまま準備を進めていました。
しかし仕事の転勤や海外への異動が決まったりしてMBAに行くタイミングがずるずる伸びてしまいました。
そこで「自分は何をしたいのか」ちゃんと考えることにしたのです。
自己分析をしていたら、私の人生において最も大切にしているバリューは①Discovery、②Creativity、③Synergyの3つが重なり合うInterdiciplinary(複合要素)な状態が最も自分にとって大切な価値だと分かりました。
ちょっと分かりにくいと思うのですが、常にレア度の高い新しいことを発見し続け、それらの発見には工夫の余地があり、そしてそれぞれのシナジーを生み出すことができる。このどれかが欠けていてはダメで、3つが実現し続けられる状態の時、私は最も興味を持ち、幸せに感じるのだと言う結論に至りました。
この自分の最も大切にしているバリューをもとにしてキャリアゴールをたて、そしてデザインという分野に出会い、デザインスクールへの進学を決めました。
少し詳細な部分も多かったかもしれませんが、noteではしっかり自己紹介ができていなかったな、と気づき良い機会なので書き残しました。
学生の頃、S教授が生ぬるい私に、厳しく、「社会人になってから大学院に行きなさい」と言ってくださったこと今でも感謝しています。その言葉があったからこそ銀行に入行でき、沢山のことを学んでから、大学院に進学することができました。(S教授にはそんなこと言ったのは覚えていないと言われてしまいましたが…笑)意外と誰の言葉が人生を左右するのか言った側も言われた側も分からないものですね。
S教授を通じて学生の方々とお話しする機会を頂き、自分について振り返るとても有益な時間となりました。他にも銀行の仕事内容など多くの質問を受けましたのでまた別の機会にご紹介できればと思います。
読んでくださった皆様ありがとうございました。
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