反射統合ワークを受講した
週末、反射統合ワークの研修を、トータル8時間受講してきた。土曜日に4時間、日曜日に4時間、座学とワークを繰り返す体験だった。参加者は私を含めて6名。横浜市での開催で、首都圏からの参加者がメインではあったが、夜明け前に福島県から出発し、ご夫婦泊りがけで参加をされている方もいた。距離は関係なく、求めている人にとっては、喉から手が出るほど、魅力的なテーマかもしれないと思った。
研修は、一日目の前半は全体像の説明があり、その後は、ワークと振り返りを繰り返す流れだった。二日目は、一日目の振り返りから始まり、ワークとシェアがメインでクロージングという流れだった。
二日間を通して、説明を聞いてから体験する、言い換えると、頭の理解と体感覚を繋いでいく時間だった。二日間にわたり、たったの8時間の体験だったが、受講中にも受講後にも変化があったので、備忘録として残しておきたい。
そもそも、「反射の統合」とは何かについて、最初に書いておこう。ここで言う「反射」とは、原始反射のことで、胎児が胎内で生き残るために身体が無意識に反応することを意味する。本来なら、胎内にいる間から乳幼児期間で、反射が統合(卒業)していくのだが、大人になっても残っている場合(未統合)がある。座学を受けた限りでの私の理解は、反射が統合されていないと、危険ではないのに身体が勝手に反応してしまうため、もやもや、不安、ストレス、生きづらさを感じやすい。一方、反射の統合が進むと、楽になり、捉え方も自然に肯定的に変わっていく。
なぜ、「反射の統合」を受けようと思ったのかは、きっとこれは私に役立つに違いないと、直感的に自分の中のどこかで感じていたからだ。直感で感じたことを言葉にしようとするなら、反射の統合とは、生命を司る脳幹を整えることと思ったからだ。脳科学の専門家ではないので、本当かどうかは証明できないが、脳と心については、関心があって本を何冊か読んでいた。反射が統合され、無理せず、生き物としてあるべき姿で動いていれば、感情も思考も行動も結果も楽について行くのではと、イメージを膨らませていた。
まず受講中に感じた変化についてだが、気持ちがゆったりとし、そのままの私でいていいと、気づいたら、そう思っていた。「気づいたら、そう思っていた。」という、ところがポイントで、そう思おうと意識していたわけではなく、反射の統合ワークを数分受けることを繰り返していたら、一日目終了時にはそのようになっていたのだ。一日目の受講が終わり、帰宅をしたら、普段よりも早くぐっすりと眠れ、朝起きた時には頭がすっきりとしていた。
二日目の朝は、駅から会場に到着するまでの通りがお祭りの準備で人が多かった。普段なら気にしないのに、人混みが気になる自分がいた。本当は身体が嫌だと言っていたのに、感覚を麻痺させ問題はないと頭で思い込ませ、何十年も日常生活を送っていたことに気づいた。
反射の統合が進み、体感覚に正直になると、今まで麻痺させていた感覚が、表に表れてくるかもしれない。その変化については、怖いという気持ちはない。むしろ、思考で自分を固め、我慢しながら生きてきた自分を救い、解放させたい気持ちのほうが強い。親に心配をかけないように顔色を伺い、人の評価で自分を肯定する生き方が窮屈だったので、魂が望むことを実現させてあげるきっかけになると思っている。
先月、「反射の統合」という言葉にたまたま出会った。気づいたら、今月初旬に受講を終了した。受講中からすでに変化を気づき始めている。これからも普段の生活に取り入れつつ、受講した仲間と連絡を取り合い、一人一人が充実した日々を過ごせるように、祈りたい。