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努力を褒めるのは難しい
前に努力を台無しにされる経験がその人の人生にかなり悪い影響を及ぼすことについて書きました。積み重ねてきたものを踏みにじられる、勇気を出して言ったことやったことが拒否されるといった体験はなかなか強烈で、滅多にあることではありません。しかしまた、努力したことに対してしっかり褒めてもらうこともそうそう当たり前にあることではありません。はっきり言えば努力を褒めるのは難しいということです。
目覚ましい結果を出したり、目に見えて良い出来栄えだと人は他者から褒められますが、その人にとって本当に頑張っていて褒められると喜ぶようなことは別にあるかもしれません。
きっとそうなのです。子供の頃に勉強がよくできるとか、足が速いとか、かっこいいとか可愛いだとか言われた人も、少なくとも子供でいた間は頑張ってそうなったのではなく自然にそうなっていたはずです。本当は特定の遊びだとか関心事に夢中になっていたのに、そのためにやっていたことのすごさが分かってもらえなかったなんて経験は多くの人にあると思います。
その点は大人になってからも同じで、頑張ってやっていることが相手になかなか伝わらない場面は多いと思います。
それから本当は自分なりに頑張って工夫しているのに才能や生い立ちのおかげということにされてしまうこともあります。例えば女性アイドルに対する「かわいい」という言葉がそうだと思います。
アイドルになるスタート地点に立つためには業界の人の目に留まるだけの容姿・美貌がいるのでしょうが、いま第一線でアイドルとして活躍している人は歌やダンスはもちろんその見た目をさらに磨くためにも物凄い努力をしています(最近そういう動画をYouTubeで見つけたのがきっかけでこの文章を書いています)。
そういったことを全く知らなければ見る側の人間は、その可愛らしさ美しさの全てがまるで生まれてから当たり前に備わっていたものだと錯覚します。その状態で発せられる「かわいい」は生まれながらに持っていたものへの言葉であり、裏での努力には向いていないわけです。
いやいやアイドル(idle= 偶像)って言葉の通り見た者が騙されて夢見た気分になってもいいじゃないのとも捉えられるでしょう。そのことに異議を唱えるつもりはなく、ただ人の努力には目が向きにくいことの例だと思うまでです。
話を戻すと人の努力には気付きにくく褒めるのが難しいのでした。では誰かを喜ばせようと思って、その人の努力に目を向けて褒めようとしたらどうなるでしょうか。それを普段からナチュラルにやっている人ならば大丈夫そうですが、私のように慣れない人がいきなりやろうとすると十中八九「上から目線」のコメントになってしまいます。
「今日の会議で配ってくれた資料分かりやすかったね」でも「ジムに通い始めて2ヶ月だっけ?だいぶ絞れてきたね」でも何でもいいですが、普段からそう親密にコミュニケーションを取っていない間柄で無理に「褒めよう」とすると、なんかお節介というか上から目線の印象になってしまいます。自分がそのようなことを言われたときもあまり嬉しくありませんでした。
そうなると人が努力していることに気づいてもなかなか言葉にできないし、努力している側はいつまでも報われないと思ってしまっても無理はないわけです。報われないと思うならやることが間違っているのかもしれませんが、それはまた別の話題です。
さて、そのようなことを一時期考えた末に自分なりの答えを見つけたのですが、話をここで区切って続きは次回に分けて書こうと思います。