常態で書くか敬体で書くか
私がnoteを始めたとき、最初はそれこそ自分のノートに考えたことを書き込んでいくような感覚でいました。そのため常体の日本語、つまり「である」「なのだ」で終わる文章を書いていました。
しかし今では「です」「ます」で終わる敬体で書くようになっています。もちろんどちらで書くべきか明確なルールは定められていないのだから好きにすればいい訳ですが、私はこれから書くような考えからこの投稿も含めて敬体にしています。
そもそも自分がnoteというメディアに興味を持ったきっかけはヨビノリたくみさんとかまたまるさんで、お二人ともnoteでは常体の文章を書くことが多いようです(例外もあります)。
この他にもいくつかジャンルの投稿を読んでみて常体と敬体の使い方に感じることがありました。
まず敬体で書かれたnoteからは「このアイディア・感情を共有したい。何か言いたいことがあればコメントして欲しい。」という意図が感じられます。他のメディア経由で知った人でもない限りパッと見たときには敬体の方が取っ付きやすい気がしますし、特に共感したときにはコメントを残したくなります。
これに対して常体のnoteはなんとなく「どう解釈してもらってもいいし反応が欲しいわけでもない。私はただこれを発信したい。」という印象を受けます。それはそれで好きな文章がたくさんあります。しかしたとえ感銘を受けることがあってもコメント欄に浅い感想の書くのは野暮な感じがして、それよりは黙ってシェアした方がいいような気がします。
※補足 浅い感想もまた自分なりに感じた率直なメッセージではありますが、書き手が深く考え抜いて書いたオリジナルの文章よりは必然的に薄い内容になるのでやはり浅い感想なのです。
もちろんこれらは全て私の主観ですが、こういう感覚を持っているので自分が投稿するとき(共感してくれる人がいるといいな)と思いながら書く場合には敬体で、(こんなこと話せる相手いないからnoteに書いちゃうか)と思っている場合には常体でという具合に使い分けています。
とはいっても人に読んでもらう文章を書くなら自分のノートに書き込むのと違うのだから常体敬体以前に分かりやすい書き方をすることに努めるべきでしょう。その面ではまだまだだなと思いますが、今のところnoteでも、ネット上の他のメディアでも同じようなポリシーで文を書くようにしています。
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