ガンジス川で親に感謝
「インドに行ったら絶対にガンジス川に行って沐浴するんだ」
これは私の長年の夢だった。
2014年のバックパッカー旅(当時31歳)の時、インドへ行きたかったが、行く勇気が出なくて泣く泣く諦めた。
そして2016年、とうとう夢を叶える時がやって来た。
ガンジス川沿いの街・バラナシには夜に着いた。噂には聞いていたが、駅から中心部まで行くリキシャーのドライバーが超曲者。目的地は伝えているのになかなか連れて行ってもらえない。
ここバラナシには、インド訪問3回目でバラナシでボランティアの経験もある日本人の女の子と一緒に来た。前職は警察官と消防団というたくましい経歴に、思いやりと面白さまで兼ね備えた心強い相棒。
彼女はドライバーを諭すように地図を指しながら、「今はね、ここにいるから次にここを曲がれば着くから。私インド3回目だからわかっているから」と言っている一方で、私は疲れと眠気MAXのため「早く行ってよ」と切れ気味で脅す。この脅しが意外と効いたようで、なんとか目的地の近くまで辿り着くことができた。
彼女に「ところでガンジス川入ったことある?」と聞いたら、なんと「(インドに過去2回来ているのに)入ったことない。お腹壊したくないし。」との返答。
翌朝、私は初めてバラナシの景色、ガンジス川を目の当たりにする。
街の至る所に、牛・犬・牛・人・牛・糞。とにかく牛が多い。
たくさんの旅人から「インド汚ねー」と聞いていたので、覚悟はしていたが、ハードルを存分に引き下げてきていたので、その点は案外すぐに受け入れられた。
そしてメインのガンジス川、「・・・」。
友達が「見たら入る気失せるよ」と言っていた気持ちがよく分かった。入るのをやめることにした。2014年のバックパッカー旅(当時31歳)で来ていたら絶対入っていたと思うが、2016年(33歳)の私はリスクを恐れるようになっていた。腹痛で苦しみたくない。
バラナシに着いてから数日が経過、バラナシに一緒に来た日本人の女の子が、以前ボランティアをした場所(ガンジス川の向こう岸)に行くというので、私も行かせてもらうことになった。
その場所には、ボランティアに一緒に参加していたボートマンのボートで行く。帰りはボートマンの友達も一緒に、ボートの上でパーティーをするとのこと。
友達がボランティアのみんなと作った学校を見に行った。
「マザーベイビースクール」と言って、旅人の間ではカリスマ的存在の高橋歩さんを筆頭に83人のボランティアで作られ、2008年に開校した学校だ。
学校を後にし、ガンジス川のガート側に戻る。
ボートに乗って待っているが、一緒に乗ってきたボートマンの友達がなかなか戻ってこない。と、思ったらやっと来た。ボートの上で食べる、食べ物や飲み物を買ってきてくれたようだ。
日が沈みかけて来た。ボートをしばらく進めて、途中で停泊。食べたり飲んだりしながらおしゃべりをする。インド人が、"おしゃべり好き"なのを知ったのはインドに来てから。しかも彼らは恋愛系の話が好きだと思う。
そしてヒンドゥー教の彼らは、お酒を飲む時は神様が宿ったネックレスを外してポケットに入れた。(外しても神様には見られているよ)と思うが。
しばらくすると風が強くなってきた。ボートマンがボートを進める。ガンジス川の水しぶきが飛んでくる。私はコップに手で蓋をしてしぶきの侵入を防ぐ。しかしインド人達は話をし続ける。答えざる負えない。口にはきっとガンジス川のしぶきが入ってきている。
ガンジス川のガート側に到着。
ガンジス川で沐浴しなくても、ガンジス川のエキスはたっぷり口にしたはずだが、その夜も、翌日以降もお腹を壊すことはなかった。
私はこれまでの旅で、ものすごく辛いスパイスが入った食べ物でお腹が痛くなったことが何度かあるが、それ以外の食べ物や飲み物、インドのローカル食堂で提供される水ですらお腹を壊したことがない。
私がある時から感じていること。
それは・・・
「私が餓死することはない。私は食べ物に恵まれている運命である」
どうしようもない私だけど、どんなものも好き嫌いなく食べられて、お腹を壊さない体に産んでくれた両親には感謝する。
※2016年6月2日~10日、6月18日~25日 インド・バラナシ
「Over30女子バックパックでアジア周遊」