シャニマス 千雪GRAD 感想と考えたこと雑記
千雪さん誕生日おめでとうございます
ということでこちら、千雪さんの誕生日に託けて以前にSNS某所で書いたものを加筆修正しつつ文章にしてみたものになります。
セヴンスを読んでても思ったことなんですがシャニマスがアイドルというものを描く上で、わたし自身とアイドルという偶像、主体と客体、自分に纏わるその二つの存在とどう向き合っていくか、どう折り合いをつけて進んでいくのかという問題は避けられないテーマなんだろうなって思ってて、シャニマスのコミュはそれについて今まで様々な角度で斬り込んで挑んでいったと思うんだけど、千雪GRADもその一つだなって思います。
千雪GRAD好きなんですよね。だってあれこそは千雪が“わたし”を懸けて“she”(物語としての私=アイドル)と戦ったお話じゃないですか。
千雪は自分の作った巾着についた価値が、巾着(=自分自身、“わたし”)を無視して、自分から独り歩きした「桑山千雪」(=物語・客体としての私、アイドル“she”)に付けられた価値のように思い、その「桑山千雪」を取り外した自分自身の価値を試そうとしたわけだけど、
プロデューサーが刺繍で入れようと言ったイニシャルのC.Kは、「桑山千雪」という名前を取り外した、1円しか付けられなかった手芸作者としての千雪の名前であり、アイドルでない桑山千雪を象徴する名前として位置付けられているものだと思います。
このコミュにおける問題への解答として一番大きなものはプロデューサーの言うように「自分の価値は自分で決める」ということになるのだと思いますが、筆者はそれに加えてもう一つ見方があるなと思っていて、それは「大切で特別なたった一人の誰かにその価値を肯定してもらう」ことでその問題はあっさり解決する、というものです。
(これはYOUR/MY Love letterの、他者からのスポットライトによって自己が確立されるといったことや、シーズコミュの、自分である他者のまなざしによってアイドルになれるといったこととも関連するものかもしれないと思います。)
“わたし”のアイデンティティが“she”(物語としての私=アイドル)に染められていく現状の中でアイドルのラベルを外した自分にはどれほどの価値があるのか、アイドルじゃない自分自身とは何者なのか。そんな不安に対してプロデューサーは、千雪は「こういうふうにも人を笑わせられる」と答えを照らします。
相手のことを思って、初心者でも簡単に楽しめるようにハサミだけで出来るものを考えたり、使いづらくならないようにアイマスクを題材に選んだり。
自分の「好き」をひたむきに大切に出来て、それを周りに広げることが出来て、周りの人を楽しくさせることが出来る。
「桑山千雪は、誰かを笑顔に出来る」
それが、アイドルである前の桑山千雪自身の輝きであり、価値。
そんな素敵な人が、自分の好きを積み上げて作ったたくさんの欠片に、C.Kと名前を刻んで、それを誇ろう。
千雪がアイドルになる決め手になったのは「たくさんの人を笑顔にする」という言葉であり、実際に千雪はアイドルとしてたくさんの人を笑顔にする力、そして価値を手に入れた。だけど「隣にいる誰かを笑顔にする」という力はアイドルでない桑山千雪にある本来の輝きであり、そしてそのアイドルじゃない桑山千雪の価値は、アイドルになる前の桑山千雪にそれを見出した男が誰よりも近くで、誰よりも強く保証してくれるものだった。
迷子になったキャラバンの鈴は、最初からあなたに向かえばよかった、千雪がそうこぼしたように、
それは例えば、ミュージシャンや役者やそれこそアイドルを夢見て、自分の価値を挑んで、そして夢破れた多くの人が、アイドルのようにたくさんの人に価値を認められることはなくても、世界でたった一人の特別な誰かに自分の価値を認めて貰って、身の丈に合ったでも確かな幸福を人生に築くのが決して間違った結果ではないのときっと同じようなことで
「アイドルじゃない桑山千雪」の答えは、たった一人の誰かが認めてくれるというところにあってもいいものなのだと思います。