佐藤、公務員辞めるってよ〜後編
前回たくさんご支援いただきありがとうございました。
ほんと感謝です!
というわけで前回、災害時の公務員の動きまで赤裸々に書きました。
というわけで、、、
〜自分語りまたしますけど心の準備だいじけ?〜
その後、岩手県山田町に公用車を寄付するため、職員、特に年の近い連中と乗り合いで岩手まで行きました。沿岸部のため津波の被害と、津波後の火災で町は壊滅に近い状態でした。
それでも役場の方とボランティアの方が物資の受け入れのため体育館で搬入の指示をしたり、自衛隊の方々が瓦礫の処理と行方不明者の捜索をしたり、皆懸命に働いていました。山田町で見た、町が破壊されている状況と、それでも空と海の青さ新緑の綺麗さに代表される自然の美しさのコントラストは今でも強く心に残っています。
#公務員すごい
#だから褒めて伸ばして
#自然は時に恐ろしい
#それでも美しい
その後、被災地のためにできないか居ても立っても居られなくなり、宮城県の亘理町に災害ボランティアに参加。多くのボランティアさんが参加されている光景を見て、一人の人間として日本のために集まって何かすることの素晴らしさに感動しました。
#亘理町では居酒屋によく行っていた
#まだやってるかな
人生を変えた出会い
そんな3.11を経験して、その後職員としては県庁に派遣され、市町村課というところで1年間お仕事させていただきました。県庁という性質上栃木県全域を把握しなければならない。この視点が良かったですね。条例などに関して、那須烏山市の仕組みが全てという感覚だったのが、以降「きちんと整理されてないな」「運用次第」という感覚を持てるようになりました。
そしてタイトルにある大きな出会い。2つの出会いが人生を大きく変えたと思っています。
一つ目は、「Green drinks 那須烏山」という「那須烏山をどうやっていい街にしていくか考えよう!」という取り組みを、市民の中でも自分と年の近いみんなが運営していました。「市内にもおもしろい人たちいるじゃん。」という感覚にさせてくれたのと、毎回出入りしていたからか、なぜか自分を受け入れてくれていました。どちらかといえばvs市民というか、標的になりがちな行政の人を受け入れてくれる不思議な感覚でした。
#受け入れてくれていたでいいよね
#不安
もう一点、全国の志ある公務員と出会えたこと。
白鴎大学の元教授結城先生が、栃木県南から茨城県の北部の市町村の職員を集めた勉強会に誘っていただき、県内の市町で活躍する職員のみんなと知り合えたこと。困ったことがあるといつも相談してましたし、付き合ってもらっていました。
それと「リノベーションまちづくり」関係で出会った全国の仲間たちには遠いながらSNSなどを通して取り組んでいる姿を見て刺激を受けていました。
#北九州行きました
これらから学んだ3点は
1.志を共にする仲間は意外と近くにいること
2.おもしろいまちは自分で動いて作っていけること
3.公務員は仕組みをつくる、民間プレーヤーはその仕組みで活動できること
特に3点目。同じ法律に基づく条例は市町村で若干違います。これを変えられるのは市町村の職員。民間プレーヤーと共に考え、つくり、そしてその民間プレーヤーがあげた売り上げから税金をもらい、福祉や教育に使っていく。これが近未来の公務員と民間プレーヤーの働きです。
#再投資
#批判はあるだろうけど断言します
これからの人生
行政職員として、仕組みをつくっていく側で一生行くのかマジで悩みました。先輩たちからは「公務員ほどクリエイティブな仕事はない」と言われましたが、たぶん小さい市町村特有の課題「公務員が仕組みをつくっても民間プレーヤーがいない」という課題があると思います。
特に上記のような、まちに再投資し続ける、自分たちの言葉で言うと「パブリックマインドをもった民間プレーヤー」が少ないない問題です。
だったらそちら側で自分が思う「おもしろいまち」作ろうと決意しました。
#行政側は任せた
これから那須烏山のブルワリーとしてビール醸造所を造ります。世界につながる商品で、地域とノドに潤いを与えていけたらいいなと思っています。
あの日あの時、境中の二階の教室で話したバカ話を叶えようとしています。みんなにはらしいと言われそうですが。
あの日の俺、一歩踏み出してるぞ。
〜fin〜
最後になりますが、いろいろご支援してくださった皆様本当にありがとうございました。そして自分語りに長々とお付き合いいただきありがとうございました。マジで今の自分はみなさんに支えられて成り立っています。
そして今後ともよろしくお付き合い下さるようお願いいたします。
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