171 ミャンマーを覚える祈り会 振り返り〜平和実現への道
2024年5月17日 ミャンマーを覚える祈り会でのお話、ちょこっとサマリーです。
エムさんが、ご自分の専門分野から、平和構築についての意見表明をしてくださいました。その中で語られたことをこちらに少しだけ掲載します。
通訳の最初に言いましたが、道徳と普通訳されるmorality moralを、私は日本語の「道徳」にあたる言葉とは違う意味で、使用されているのでモラルとかモラリティという言葉で発話しています。話されている言葉では他にethicalがあり、そちらは倫理と発話しました。
平和を実現するとは
私の理解では、正しい行為は自由意志に基づくものでなければなりません。何かに支配されるものであってはならないのです。 自由なくして平和はなく、法なくして自由はなく、絶対的モラルなくして法はないと主張できるのです。 (例えば、ミャンマーで行われているような徴兵制、それにこの数年の間にクーデター軍が次々と発表する法律はこのモラルなき法です)。
戦争で、非武装の人々、民間人、難民となった人々を、無差別に標的にすることは、不法行為であるだけでなく、非モラル的な行為でもあります。多民族、多宗教の中で、特定の理由で宗教や人種の対立を煽ることは、腐敗的、言い換えれば非モラル的なのです。不当な法律を押し付け、民衆の貧困と苦痛を増大させ、腐敗した社会を作り出すことは、悪意であり、非モラル的なのです。 私たちが暮らす社会がこのように歪んでいることに気づけば、私たちは平和構築に参加し、関わるようになります。 平和構築者はもはや、このような環境に居続けることに無感覚であることも、そんな状況に対して寛容であり続けることはないのです。
イギリスの哲学者エドモンド・バークは、「モラルは法律よりも重要である。なぜならば、法がモラルに依存しているからである。」と言います。このように非モラル的であることが、不義に満ちた法を作るのです。例えばアメリカ大統領ルーズベルトが述べた四つの偉大な自由をあげましょう。礼拝の自由、言論・表現の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由です。
さらに現代では、移動の自由、就労・就学の自由、自分と家族の生計を立てる自由などが挙げられます。 現代においてかつてないほど人権に対する深刻な侵害が蔓延しています。わかりやすく言えば、モラルとは、仕事、家族、教会、地域社会、文化、社会、そして個人生活の中で私たちが示す善良で正しい行動のことです。 それは、私たちが日常生活の中で遭遇するありとあらゆるやらなければならないことの中で、どのように向き合っていくのかということに関わっています。 これが、平和構築者が社会の平和構築に参加し、関与することに力を注ぐ理由です。
倫理やモラルについていえば、行いだけで私たちのあり方が反映されているというわけではありません。私たちが何者であろうとするのか、それは、私たちが何をするかで決定づけられることもあるけれども、その逆もあるのです。平和構築に参加し、関わっていくということには、こうした個人的、モラル的生活のすべての側面が関係しているということです。
記録
171回目 参加者71人、ポットバンギングを行いミャンマーのクーデター軍による暴力の即時停止を祈りました。