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#193ミャンマーを覚える祈り会振り返り#194参加呼びかけ

こちらに掲載しているのは、193回目の祈り会でのレポートの一部です。


メーソットは、1970年代からミャンマーからの移住者が生活をしているところです。特に大規模な難民キャンプには、国際社会の注目もあり、「難民が住む場所」として認知され、NPO団体による大掛かりなサポートが50年以上も続いています。
 認知されているキャンプに対してタイ政府は移民難民政策としてキャンプのゲートをコントロールしています。今回は、タイ政府からの正式な許可がないとガイドが連れていくのが危ないと判断しました。元々、名前が知られている有名なキャンプを訪問する予定はありませんでした。
 一方で、メーソット市内には移民として二世代目にあたる人々、また今回のクーデターで逃げてきた人たちが居住しています。単純な問いとして、なぜ、難民キャンプにいる人と、街中にいる人がいるのでしょうか。

3年半前のミャンマークーデター前から攻撃の対象とされている、あるいは貧困のためなど、隣接するカレン州から、国境になっているモエイ川を渡り、カレンニー(赤カレン)、カレンの人々が常に行き来していました。
今回、マイノリティ宣教センターのプログラムで、来年2月末にユースたちと共にメーソットへの旅を今作っているところで、その準備のために訪問しました。メーソットで暮らす、ミャンマーのユースや、移民たちのリーダーたちとの出会いを期待しています。

キリスト者とのつながりから

この旅の準備をスタートさせた時、歴史ある団体が、保健衛生や、難民支援のために拠点をメーソットに持っていることや、アカデミックな観点からも注目されており日本にある大学もメーソットで会合を開いたり、フィールドワークをしていることから学びました。しかし、私はよくよく考えてみると、自分がこれまでなぜかつながってきたキリスト教関係の人々にこそ、この話をしてみようということを最初は失していました。何人かに声をかけて、すぐにこの旅への協力者が得られました。渡航前に数回の会議をオンラインで行い、趣旨や、アトゥトゥミャンマーについてもお話しして全面的に協力したいという申し出をいただきました。実はあってから分かったのですが、とっくに私たちはミャンマーで会ったことのあるもの同士でしたが、まさかクーデターを経てタイで再会することになるとは思ってもみませんでした。

入管政策について

旅で、私が出会った人で今、タイ政府が認証するIDを持っていたのは2人だけでした。毎月三百バーツぐらいを払うとポリスカードという手作り在留カードをゲットします。賄賂を警察に払っている証拠が発行されて、それで収監されないのです。でもこれはそこにいていいだけ、ピンクカードにするためにはもっとお金を払います。そしてピンクカードを持っていれば、ある程度の就労が認められます。こうして、正規なのか非正規なのかよくわからないのですが、私が話をした人々の多くが、この月々の300バーツも家族が8人いますとなれば、結構な痛手、でもなければいつ捕まるかわからない、という話をしていました。そして、それを持っているからと言って安全ではないということでした。

日本の入管法のことでもそうですけれども、在留カードがあるっていうことはゴールではないです。在留する人が自分がそこにいるということについてい肯定的に自分も他者も考えられること、将来設計をすることなどを考えると、医療にかかる、教育を受ける、衣食住が守られているということ、それが本当は目指されていることです。
いきなり、ところであなたの在留いかが?なんて、もちろん話さないですが、クーデターからのことや、これからについて話しているうちに、このような今に至ることから在留の話を必ずすることになります。

移民学校での活動

メーソットのダウンタウンから南へ1時間ほどのところに、ある移民学校で1日を過ごしました。特に日本にいるみなさんに伝えてほしいと言われていたこと、この活動で大切にしていることは、給食事業です。週に2回、火曜日と金曜日には朝9時から勉強する小学生から中学生までの子どもたち全員に、給食を提供します。それ以外の日は、自分でお弁当を持ってくることになっていますが、持ち得ない子もいるそうです。朝7時ぐらいから子どもは学校にいるのですが、保護者たちがボランティアで調理に行きます。スタッフは週に2回、片道1時間、車を出して、食材を買いに行きます。1食、日本円で大体百円ぐらいの計算での食事だそうです。


当日の給食を一緒にいただきました

この事業のために、スタッフがあちこちになんとかして維持献金を依頼している状況です。建物は、ミャンマーの牧師たちのグループであるメーソット近隣にある7つの教会のグループの一つとして建てられていますが、そこを建て増しして、教師、スタッフがこの学校の中で暮らしいます。さらにはひとりになってしまった子どもも一緒に住んでいます。教師たちはCDMをした人です。
 移民学校にくる子どもたちを朝6時から、車を出して迎えに行きます。歩いてくる子はほんの数人で、100人近い子どもたちをトラックに乗せてさん往復し、昼食後もまたそれをするのです。ドライバーは一日6時間、子どもを家、逃げているキャンプ地にまで送ります。保護者は、IDの問題があり、就労できないため、近隣農家で小作者として働く(規定外の低賃金)人がほとんどでした。
 

幾つかの場所に小さな橋がかかっています。人々が自分たちで作ったものです。ミャンマー側にわたり、10分も歩かずにこの移民学校につきます。こちらの責任者と私の案内役はたまたま、女性のための協議会がありそこで移民の問題について話し合う分科会で出会ったということです。彼女たちがそんなふうにして出会った話を聞いて、そういえば、さゆりもだねえと言われ、今まで、アジアのバプテスト関係のミーティングに出させていただいてきたことの本当の意味をそこで知らされた思いでした。ミャンマー側には三年前のクーデター以降、IDPが急増し、ここの子どもたちの数もものすごい勢いで増えたそうです。空爆で負傷したこどもここにいました。


こちらはIDPキャンプのクリニックです


 

さらに国境から離れるようにミャンマーへ入っていき、カレン州内にあるIDPキャンプの一つへ行きました。そこでのことも祈り会で共有しました。

私はタイ側に行ったミャンマー人と、ミャンマー側に残るミャンマー人とそこを行き来するミャンマー人とあったのです。どれが一番いいか?なんて考えてしまうのです。でもそれは本当に愚かな問いです。
今、どの人もが自分にとってはベストで最悪の選択に置かれているということがひしひしと伝わってきました。将来の話をすると楽しさと虚しさが湧いてくる、笑えるけど笑えない。
どっちかはっきりしたいというそういうことばっかりやって、計画を練って、準備をし尽くして、そういうことに翻弄されている自分が本当に情けなくなりました。そこにあったのは平和ではないけど、毎日がある、というそういう生き様で、それはかわいそうでも、不憫でもなくて、やっぱりのぶとく生きているとしか言いようがないのです。
そしてそれに衝突してしまった自分はやっぱりこの物語の中になぜ自分が足を踏み入れたんだろうか?と考える間もなく「よしやってみよう」と思う他に応答がないのです。

祈りを続けていきたいと思います

第194回ミャンマーを覚える祈り会

2024年10月25日(金)午後9時スタート
お話 マキンサンサンアウン牧師(高槻バプテスト教会)
お名前を表示してミーティングに参加してください


https://us02web.zoom.us/j/83543390368?pwd=MnNLMitPV2xLb25NbGNTc2FVejJoQT09

ミーティング ID: 835 4339 0368
パスコード: 540189

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