はじめまして 郷土史ライターと申します!
郷土史ライターと名乗っていますが、まったくの造語です。
郷土史家と紹介されることもありました。
でも何か背中のほうがムズムズしてくるんです。
郷土史研究家。
こうなるとなおさらです。
「いや、そんなタイソウなモノではないんです。
ただ地元の歴史が面白くて、それを皆さんにお教えしているだけなんです」
頭をかきながらつぶやきます。
そうなんです。
ワタクシはふるさとの歴史が面白くて、いろいろな本や資料、絵葉書、古地図などをあさっているだけです。
研究しているという意識はイッサイありません。
昔を知っている方にいろいろと話を聴くなら、新たな史実を掘り起こしていると言えるでしょう。
ただワタクシが好きなのは、明治から大正。
昭和もまあ20年代までがせいぜい。
特に戦前について、当時のことをいきいきと語ってくれる方はほぼいなくなってしまいました。
もっと早くに郷土史に興味を持っていれば。
そう思うこともしばしばです。
そのかわり、先人の残した文献等を探しては当たります。
そこに興味深い事実があるのを見つけます。
そして「こんな面白い話がありました」と、ブログや本の執筆、講演等でお伝えする。
これが、ここ10年ほどワタクシが続けていることです。
画像01 明治末の旭川中心部(絵葉書)
画像02 大正時代の旭川駅前(絵葉書)
ということで、冒頭に戻って、肩書の話です。
郷土史ファン? 郷土史マニア?
ファンであり、マニアであることは間違いありませんが、これじゃただの趣味人っぽい?
歴史ジャーナリスト?
ワタクシは、もともとテレビの世界で主に報道の仕事をしてきました。
ただ「ジャーナリストです」と人様に向かって名乗るほど、タイソウな仕事はしていません。
「自分もジャーナリストの端くれには違いないので・・・」。
こう言うのが関の山でした。
じゃあ郷土史情報伝達人!
まさにこういうことなんですが、何か漢文みたいです。
で、「ま、ライターも時には語りもするだろうから」と思いついたのが、郷土史ライターです。
ワタクシは30年以上モノを書くことを生業にしてきました。
その後も公私に渡って文章を書き続けてきました。
なので、ライターというのはしっくり来ます。
画像03 大正時代の旭川中心部(絵葉書)
noteでは、もちろん新たに執筆する記事を投稿していきます。
ただこれまでブログ等で発信済の原稿も、アップデートしたうえで「蔵出し」していきます。
と言いますのは、現在ワタクシが発信の場としているブログ。
退会すると、記事すべて削除されてしまうそうなんです。
当面はブログも続ける予定です。
でもやっぱりデジタル世界に自分の足跡を消えない形で残しておきたい。
そんなことを思っています。
画像04 昭和初期の旭川中心部(絵葉書)
もう一つ!
ワタクシが書くのは、主にふるさと北海道旭川のことです。
なので、ゆかりのない方は興味を持たれないと思います。
ただここが旭川の面白いところで、昔から交通の要所だったことから、多くの有名人が歴史の随所に登場します。
画像05 小熊秀雄(1901−1940)
文学関係だけでも、宮澤賢治、石川啄木、森鴎外、芥川龍之介、野口雨情、北原白秋、若山牧水、伊藤整・・・。
井上靖と三浦綾子は旭川生まれですし、大正〜昭和初期の旭川で活躍した小熊秀雄も全国区の詩人です。
二・二六事件との関わりで知られる短歌の巨人、齋藤史も2度旭川で暮らしました。
画像06 小熊秀雄(前列左端)と旭川の詩人たち(昭和3年)
画像07 旭川時代の齋藤史(1909−2002)
ワタクシの書く記事には、こうした人たちと旭川、北海道の関わりについてふれたものが多くあります。
そこから何か見えてくること、へーと思うようなこともあるかと思います。
この記事のように、当時の写真もたくさん載せます。
なので、レトロな雰囲気がスキ! という方も楽しめると思います。
ということで、継続して覗いてみて下さると幸いです。
ナニトゾよろしくお願いいたします!
画像08 若山牧水と北原白秋(若山牧水全集・白秋全集)
郷土史ライター 那須敦志(なす・あつし)