雪景色の旭川・なつかし絵葉書から
今回も別ブログなどで既出の記事をアップデートして掲載する「蔵出し」です。
旭川は北海道の中でも特に寒く、雪の量も多いことで知られています。
そういえば、日本の気象官署で観測された最低気温の記録。
明治35(1909)年、旭川にあった上川測候所が早朝に観測したマイナス41度でした。
マイナス30度というのは、旭川生まれのワタクシの場合、子供の頃に何度か経験しています。
ただマイナス40度はさすがに想像がつきません。
そして雪の量。
旭川は一般に一冬に約7メートルもの雪が降るとされています。
今は除雪車がありますが、当然、昔はそんなものはありません。
長く厳しい冬の間、街や人の様子はどうだったのでしょうか。
今回は、そんな疑問に答えてくれる冬の旭川を捉えた絵葉書をご紹介します。
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◆ 駅前の雪景色
写真1 絵葉書①旭川駅前
まずはこちら。
大正末の撮影と推測される絵葉書です。
カメラは、旭川の駅前から、マチのメインストリートである今の平和通買物公園、当時の師団通(しだんどおり)の方向(画面右)に向けられています。
写真2 絵葉書①拡大その1
師団通の入り口の、向かって左に建っている立派な建物は三浦屋旅館。
右にわずかに見えているのが宮越屋旅館です。
旭川を訪れた人を迎えるように、通りの両側にまるで狛犬のように建っていました。
写真3 絵葉書①拡大その2
左端に見えているのは鉄道関係の施設です。
その前に並ぶ黒い影は人力車です。
夏の間だけかと思っていましたが、このように雪の積もった時期にも営業していたんですね。
旭川の深い雪道を細い車輪の人力車を引くのはさぞかし大変だったと思います。
その後ろの樹々は、樹氷のようにすっかり白くなっています。
旭川の冬の厳しさを感じさせる1枚です。
◆ 冬の市役所前
写真4 絵葉書②市役所前
大正末から昭和初期の撮影と思われる絵葉書です。
「市役所正門前」と書かれています。
画面、左端の雪のかぶった2つの門柱のさらに右奥に、当時、今の市役所の一ブロック南にあった旧庁舎があると思われます。
写真5 絵葉書②拡大
道路脇の雪山が結構な高さになっているのもわかります。
◆ 常磐通は
写真6 絵葉書③常磐通
続いては、メインストリートを抜けた先にある常盤通(ときわどおり)です。
この通りの先に、川のマチである旭川のシンボル、旭橋があることで知られています。
馬鉄(ばてつ)=馬車鉄道が写っていること、そしてハガキの形態から、明治40年から大正7年の間に撮影されたものであることがわかります。
写真7 絵葉書③拡大その1
本来なら通りの奥に旭橋(初代です)が見えているはずですが、白く飛んでいて確認できません(若干もやっとしてますが)。
手前に積もり重なった雪はかなりの高さになっているようです。
かろうじて馬鉄の線路は除雪をしてありますが、それ以外は雪が積もり放題といった感じ。
建物の軒先まで雪が迫っているところもあります。
写真8 絵葉書③拡大その2
ちなみに最後の屯田兵だったワタクシの母方の祖父が、屯田兵制度の廃止に伴い、旭川のさらに北にある剣淵から旭川に移り住んだのが明治41年。
当時の番地などを参考にしますと、画面左端の家の裏あたりに家があったと推測されます。
こんな様子の通りを祖父たちも歩いていたと思うと、感慨深いものがあります。
写真9 冬の常磐通
こちらは同じ時期の常磐通を捉えた写真です。
左は馬鉄、右は馬車です。
馬鉄は基本単線で、複数箇所に一部複線の箇所があり、車両がすれ違えるようになっていました。
左の軌道と右の馬車は、かなり間が空いていますので、複線区間ではないように思われます(結構すれすれで行き違う構造になっていました)。
なので冬の期間、こうした馬車などが通れるように軌道と並行して除雪作業を行い、道を作っていたのかもしれません。
いずれにしろ除雪はすべて人力です!
◆ 目抜き通りも
写真10 絵葉書④3条師団通
通りが雪でいっぱいの状況は、マチの目抜き通りでもあまり変わりません。
写っているのは、師団通の3条周辺です。
やはり撮影は明治末〜大正初期と思われます。
よく見ると、通りの中央付近の雪が盛り上がっていて、店側に向かって緩やかに傾斜しているのが分かります。
おそらく人々が降り積もった雪を踏み固めて歩いているうちに、自然とこういう状態になったのではないでしょうか。
写真11 絵葉書④拡大
左手前の店は、傾斜のあるところを削って階段のようにしています(そうしないと、ころんだ拍子に通行人が店に飛び込んで来ないとも限りません)。
このころはまだ車は普及していない時期です。
なので、人々は傾斜のない通りの中央部分を選んで歩いているように見えます。
◆ 着ぶくれの人々
写真12 絵葉書⑤3条通8丁目
もう1枚は同じ時期の3条通ですが、写真4より少し東側の位置の写真です。
こちらは通りの中央部分が盛り上がりすぎて、もう通れません!
人や馬車はその脇にできた狭いスペースを縫うようにして行き交っています。
写真13 絵葉書⑤拡大
それにしても何枚重ね着をしているんだと思わせる人々の姿です。
◆ 雪に埋まる路地
写真14 絵葉書⑥市内の路地
最後は、場所や年代は特定できませんが、路地の様子です。
玄関のところだけ、穴を掘るように雪を退けてあって、まるで「雪版竪穴式住居」のような装いです。
よく平屋の木造住宅が雪の重みに耐えていたなと驚きます。
そういえば、私の子供時代(昭和30〜40年代)も、ここまでではありませんが、屋根の高さ近くまで雪が積もった小路があった記憶があります。
写真15 絵葉書⑥拡大
絵葉書屋さんは、写真を撮るために子供達に声をかけて外に出てきてもらったのでしょうか。
先人は、これらの絵葉書で忍ばれる様々な苦労を乗り越えて郷土を築いてきたのだなと、改めて感じます。
写真16 冬の旭川師団通(明治末〜大正初期)
写真17 冬の旭橋と馬鉄専用橋(明治末〜大正初期)