創作大賞2023【スターライト・ザ・ウサギ!】第七章・イラストストーリー部門
※コチラの作品は創作大賞2023・イラストストーリー部門の投稿作です。
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―本編―
第七章 ことの始まり
時を、少し遡る。
望月兎喜子を吉祥エリカが誘う前に、こんなことがあったのだ。
*
春――誰もが高校の入学式を迎える朝。
井之頭公園は桜で満開だった。
吉祥寺の井之頭公園といえば、大正六年に開園し、実に三〇〇年以上の歴史を誇る緑豊かな公園として知られている。
都会とは思えない美しい景観が広がっており、朝からランニングしている者や、管楽器を持ち寄って演奏会を開く者も多い。
コズミックプロダクションの寮は、その井之頭公園の隣にある。
誰もが羨む一等地だ。この立地だけでも値千金というもの。
井之頭公園から聞こえる歌を聞きながら、吉祥エリカは目を覚ました。
「ん……もう来てるのか」
朝の七時。
この時間になると、毎日ほぼ欠かさず聞こえてくる歌声がある。単身で田舎から東京に出てきた吉祥エリカにとっては数少ない楽しみだ。
目を擦りながら窓を開けると、美しいソプラノで奏でられる〝オー・シャンゼリゼ〟が部屋を満たした。
「あはは! 今日はまた一段と古い曲だね! でも嫌いじゃないよ!」
〝オー・シャンゼリゼ〟……フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年にリリースし、多くの日本人歌手にカバーされた名曲だ。
花の都パリで最も美しい道と称されるシャンゼリゼ通りを舞台にして歌ったこの曲は、今にも恋人たちが踊り出したくなるようなリズミカルな旋律で表現されている。
歌っている女性――井之頭の歌姫とコズプロのアイドルたちから呼ばれている彼女の歌声は、ソプラノボイスに乗せて表現を豊にしているとエリカは評価していた。今も〝オー・シャンゼリゼ〟を通して響く歌声は、シャルル・ド・ゴールの広場で少女に声を掛ける陽気な男性の姿をありありと想像させる表現力があった。
(今日もごちそうさま。でも惜しいな~。日本語のカバーもいいけど、原曲も聞きたかった。けど歌姫にフランス語まで求めるのは酷か)
ご機嫌な表情を見せるエリカは、去っていく歌姫の背中にそっと手を降る。聞くところによると、歌姫のこの日課は十年以上も続いているという。
あの表現力は弛まぬ努力の結果なのだろう。
ストイックに毎日欠かさずボイトレをしているという点でも、エリカは歌姫のことが好きだった。
(でも不思議だなあ。あれだけ表現力があるのに、アーティストとして活動してないんだよね)
あの歌唱力ならプロとしてデビューしていてもおかしくないと思い、何度もネットの海を探し回った。
しかし結果は空ぶり。裏ツールの声紋検索にも引っかからない。歌姫がデビューしていないのは間違いないようだ。
(惜しいなあ。あれだけ歌えるならすぐに人気が出そうだけど。何時も後ろ姿しか見えないけど、絶対美人だよね。社長に推薦してみようかな)
コズプロは中流の芸能事務所だが、所属の半数以上が50万フォロワーを超えることで有名だ。大手事務所とは違い、セルフプロデュースを重んじ、セルフプロデュースが成功するように支援とプランを提供してくれる。
エリカの抱えるアルカプロジェクトも、社長の鶴の一声で通った企画だ。
公序良俗に反さず、将来性と企画性さえあるなら、老若男女を問わず誰でも支援を惜しまない……それがコズミックプロダクションという事務所。
青春院社長ならば歌姫の可能性を見逃すはずがない。
(アルカプロジェクトの最終試験も無事クリア。後は半年後のデビューを待つだけ。その時まで歌姫がデビューしてないようなら、声かけてみようかな)
今日は高校の入学式だ。が、特にこれといって胸の高鳴りがあるわけではない。彼女にとって高校は教養を学ぶ以上の意味はないからだ。
友人を作るつもりもなければ、恋人にも興味はない。
バーチャルアイドルとしての活動が忙しくなるだろうし、アルカのデビューが決まった時点で高校は行かないつもりだったのだが、青春院社長が――
「ジェネラリストアイドルの日輪アルカが高校レベルの教養もないのはキャラクター的欠陥になる。行け」
と、今までにない強い口調で命令したので、渋々行くことにした。これに関しては社長の言い分が正しいので全面的に従うしかない。
ジェネラリストアイドルを目指す日輪アルカは、パーフェクトレディとして振舞う必要がある。
ならば高校までといわず大学進学も視野に入れねばならないし、何より――高校進学の援助金が、実は社長のポケットマネーから出ている事実を知ってしまった以上、半端な学業を修めることはエリカの誇りを傷つける。一生分の恩がある青春院社長にはポケットマネーから出した援助金を三倍で返し、アルカがトップアイドルになる瞬間を見せつけてやらないと気が済まないのだ。
(生みの親より育ての親。勘当同然の実家より社長に恩を返さないとね)
朝食を摂り、通学用の投影モデルをチェック。なるべく目立たない姿で投影データを造ったのだが、お気に入りの小悪魔バッグと髪のメッシュだけは妥協できずに反映してしまった。
まあ髪を染めてはいけないなんていう前時代的な風紀はサイバースクールにはないので、これくらいのおしゃれは許して欲しい。
(脳波のトラッキング完了。生徒ID認証終了。アクセス開始)
意識が電子の海を征く。
さあ、今日から高校生活だ。
これといって期待はないが、夢を邁進するために、勉学に勤しむとしよう。
*
………と、思っていたのも束の間。
入学式の壇上でピアノを弾くプラチナブロンドの女性の姿を見て、吉祥エリカは愕然としてしまった。
「……わぉ」
三年間も毎朝見続けて来たそのプラチナブロンドを見間違えるはずがない。あまりの驚きに校歌斉唱を無視してしまったくらいだ。
音楽に携わっているとは思っていたが、まさか音楽教師だったとは驚きだ。
入学式を終えたエリカはすぐに教員リストを開き、名前を確かめる。
(望月兎喜子……名前に兎が入ってるなんて可愛いじゃないか)
つまり毎朝のボイトレは教鞭を振るう為のものだったのだ。
今時の教師にしては熱意があって好感が持てる。
何の期待もしていなかった学校生活だが、お気に入りの歌姫に音楽を教えてもらえるというなら話は別だ。
こうなると加工音声を使っていることが悔やまれる。
三年分のお礼として自分の歌を聞いて欲しい衝動に駆られたが……それは駄目だと冷静に戻る。
(そっか……音楽教師じゃアイドルは出来ないよね……)
公職は、副業が許されない。
アンダーグラウンドにおける公職へのヘイトはそれはもう恐ろしいくらいだ。違反者が相手ならば何をしてもいいとでも思っているらしく、実名・実家・電話番号・家族構成など、報道から一時間でネットに晒される世の中にはエリカもうんざりしている。
歌姫をそんな目に合わせるわけにはいかない。
スカウトを諦めたエリカは思考を切り替え、これから始まる歌姫との学校生活を楽しみにすることにした。
*
――けど、何かおかしい。
そう思い始めたのは、デビュー戦で日輪アルカが華々しい戦果を挙げた六月のこと。入学してからデビュー戦まで対策で頭がいっぱいだったが、無事にジェネラリストアイドルとして好調なスタートを切ったことで余裕が出たのだろう。
歌姫の朝のボイトレと、音楽の授業の兎喜子に、エリカは違和感を感じるようになっていた。
(授業は分かりやすいし、歌も相変わらず綺麗なんだけど……思ってたより楽しそうじゃないな?)
朝のボイトレの事ではない。違和感があるのは授業のほうだ。
相変わらず美しいソプラノなのだが、井之頭公園で歌っているときよりも楽しそうじゃない……いや正確には、曲の表現が欠けているように思えた。
課題曲の〝6ペンスの唄〟はイギリスの童謡で幅広い層に愛されているが、その歌詞にはいくつもの解釈がある。黒ツグミが悪魔の使者であるとか、ヘンリー八世の批判など、それこそ様々だ。
歌姫の表現力ならば、家族で歌う軽快なリズムや、歌詞の裏側に隠された暗い比喩など、抑揚や発声の強弱で表現できるはず。
その表現力をあえて抑えて歌っているというなら……朝のあのボイトレは、一体なんのために行っているのだ。
(本人に聞いてみるのもいいけれど、それだと私の事情も全部話さいないといけないよね)
どうしたものかと悩むエリカ。サッパリとした性格の彼女が他人のことでこんなに悩むのは珍しい。
普段のエリカならとっくに突撃している。しかし彼女の勝負勘が〝今は時ではない〟と訴えていた。
ここぞというときに働くこの勝負勘のおかげで今までやってきたエリカにとって、この胸騒ぎを無視するわけにはいかなかった。
ままならない好奇心を抱えたまま悶々としつつ、夕方のランニングで井之頭公園を回っていると――
プラチナブロンドの輝きが、視界の端をよぎった。
(……あれ?)
ジャージ姿の歌姫とすれ違い、思わず振り返る。
どうやら彼女もランニングをしていたようだが、問題はそこではない。このコースだといつもの定位置に向かうように見える。
……もしかして、この時間に歌うのだろうか?
興味を惹かれたエリカは反転し、歌姫の後ろをこっそりついてく。
いつもの定位置についた歌姫は、一通りの発声練習を済ませると、暫く天を仰いだ。
そして大きく息を吸うと、朝とは比べ物にならない声量で歌い始めたのだ。
「……っ!?」
それは、朝のボイトレとも音楽の授業とも違っていた。
高らかに歌い始めたのはドーン・トーマスの歌う〝If I’m Not in Love With You〟をカバーした曲――〝ENDLESS STORY〟だ。
伝えることのできない愛情を抱く女性が、唯一人、許されるなら――想い人のためだけに歌を捧げたいという想いを歌ったラブソング。
切なくも美しい歌詞を全身で歌い上げる歌姫に、エリカは視覚と聴覚を奪われたのを悟る。歌姫は今、授業のためでもなく、訓練のためでもなく、歌いたいがために歌っていた。
添い遂げることができずとも、貴方に歌い続けることはしたい。
そんな痛切な思いが声から伝わってくる気がした。
(やっぱり……歌姫の本領は、歌詞を声で表現する力にあるんだ……)
〝ENDLESS STORY〟を歌い上げた歌姫は晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。
今まで後ろ姿しか見えなかったが、歌った後は何時も輝く笑顔を浮かべていたのだろう。プラチナブロンドに負けないくらい輝く笑みからは、歌に対する愛情がよく伝わって来た。
……表現者として歌姫が表舞台に立たないことを、心から残念に思う。此れほどの歌唱力があるなら今すぐにでも売り込める。
だが彼女の進んだ道はそれを許さない。
公職は……副業を許されないのだ。
*
日輪アルカがデビューしてから更に四カ月。
渋谷がハロウィンで大盛り上がりを見せる時期。
当初の予定以上の熱狂を見せる日輪アルカの人気に、エリカは確かな手ごたえを感じていた。
雌伏の時を過ごした三年間は無駄じゃなかったことに歓喜する反面、日輪アルカは新たな問題に直面している。
第三東京のビルの屋上で涼んでいたアルカは、満天の星空を見上げて溜息を吐いた。
「はぁ……相棒か~」
ニューアイドルセレクションに出る為の社長の代案。
マーズシティ2255にユニットで出るというのは、アルカの気持ちを激しく揺さぶっていた。
社長は『必ず相応しいアイドルを見つけてくる』と言っていたが、ジェネラリストアイドルとして成功を見せている日輪アルカに釣り合う新人アイドルがいるとは到底思えない。
組むならばゲーマーとしてトップ100に入るくらいの実力は欲しいし、歌唱力にだって妥協したくない。その二つをクリアしてくれるならトークでいくらでもフォローする。
しかしコズプロでトップ100に入るのは山猫花魁しかいない。
(局長たちは無理やり組ませようとしてるけど……先輩たちとは方向性が違うんだよなあ……)
誤解が無いように言うと、アルカは山猫花魁が嫌いではない。むしろ好きな部類だ。先月の酔いどれ人生ゲーム実況回を見た時は抱腹絶倒、普段のアルカからは想像もできない醜態をみせるほど爆笑してしまった。
でも山猫花魁に対するリスペクトは〝お笑い〟なのだ。
そのジャンルなら業界屈指だと思うが、日輪アルカが受けているジャンルとは正反対と言ってもいい。
それを無視して組ませようとする局長はやはり見る目が無いというか、コズプロは社長のワンマン営業にするべきというか。
(社長のことは信用してるけど、今回ばかりは無理筋だと思う。かといって、ニューアイドルセレクションを諦めるのは……)
ニューアイドルセレクションで新人賞を取ることは日輪アルカの義務であり、吉祥エリカの目標だった。
今年で百年周年を迎えるニューアイドルセレクション。
時代を担うトップアイドルたちは例外なくニューアイドルセレクションで新人賞を受賞している。
この三年間で何度も表彰される夢を見た。
トップアイドルを目指すのは吉祥エリカにとって生きる衝動そのものだったと言っても過言ではない。斯く在れかしと、疑問を抱くことすらなく、気がつけば全力でこの道を歩んでいた。
家族も、友人も、青春も、その夢を叶えるたに斬り捨てて進んできた。
なのに挑む前段階で躓くとは思いもよらなかった。
それもこれも大手事務所……サカキバラプロダクションの妨害のせいだ。
バーチャルアイドル事務所のなかでも百二十年の歴史を持つ超老舗であり、各種目の大会や音楽祭に強力なツテがあるため、意に介さないアイドルは表舞台に上がることもできず潰される。
日輪アルカの審議を長引かせて夏と秋の音楽祭をキャンセルさせたのもそれだ。歌が披露できないのではジェネラリストアイドルの魅力も半減というもの。
しかしだからといって諦めるのは日輪アルカらしくない。
ゲームの実績だけでも可能性があるなら全力で突き進むのだが……
(……ユニットを組むなら、妥協したくない。歌もゲームも納得できる人がいい)
自分で言うのもなんだが、日輪アルカに匹敵するスペックの新人がそう転がってるはずがない。妥協して組んだ相棒にリスペクトを持てるはずもなく、末永く組んでいくなど不可能だ。
せめて三種の神器の一つくらいトップクラスなら――
(……。一人だけ、心当たりがあるんだけどなあ)
毎朝、歌姫の声を聴くたびに溜息を吐いている。
こんなことになるならデビュー前に社長に相談して、札束でもなんでも使って引き抜くべきだった。四カ月あればゲーマーとしての体裁を整える程度に鍛えられるし、歌姫がパートナーだったら死体を背負ってでも勝利する覚悟があった。
しかし今からでは流石に間に合わない。
どうしたものかと考えながら遠くを見る。
すると渋谷のビルの上に、へんなものを見つけた。
「………んん??」
何だアレ? と首を傾げる。
三つ先の渋谷のビルの上に、ボロボロに使い古した灰色の兎が居たのだ。恐らく誰かのアバターなのだろうが、今までアルカが見て来たどんなアバターよりも経年劣化している。耳の付け根なんて今にも千切れそうだ。
「お、おお……一周回ってブサ可愛いな?」
声をかけたい衝動に駆られるが、今のエリカはアルカのアバターを着ている。
今日はアルカの突発ハロウィンイベント〝渋谷に突撃! アルカを探せ!〟を開催していた。……が、想像を遥かに超えた参加者とパパラッチと炎上系アイドルの突撃でごった返しになり、死に物狂いで逃げて来たのだ。
この姿のまま声をかけるのは気後れするが……着替えて戻ってきていなくなっていたら悲しい。
幸いなことにイベントのあとだ。アルカに声をかけられた幸せな兎、くらいで済ませてくれるだろう。
両足にスプリングと加速用のダッシュシューズを着けたアルカは、灰兎のいるビルへと飛んでいった。
「そこの兎さん。随分と年季が入ってますね?」
「……へ?」
間の抜けた声を上げる灰兎。どうやら中身は女性らしい。アルカの事を見るや否や、彼女はカチンコチンに固まってしまう。
まあ、今をときめくスーパーアイドルに声をかけられたのだ。これくらいは当然だろう。
「お隣よろし? 仮装パレードに来てたんだけど、パパラッチに見つかりまして」
そう言いながら遠慮なく着ぐるみを触る。元は愛くるしい兎だったんだろうが、表面は薄く汚れて黒ずんでいる。
耳の付け根はやっぱり千切れかけで、中の綿が今にも飛び出そうだ。
どれだけ酷使したらこうなるというのだろう。
「この兎型アバター可愛いね。随分と古そうだけど、アンティークとして使ってる感じ?」
「あ……お……!?」
「お?」
「おんぎゃわああああああああ!?」
変な声を出した。
そして脱兎の如く大脱走。
オンボロの灰兎はスプリングガジェットをフル稼働して飛び離れたのだ。
「あ、コラ待て!!」
逃げる灰兎を追うアルカ。特に追う理由はなかったが、逃げられれば追いたくなるのが本能だ。
二匹の兎が、ネオンライトで照らされる東京のビルディングを飛び交う。
眼下で仮装パレードに興じている若者たちがその軌跡を見つけても、ただの流星にしか見えなかっただろう。
すぐに捕まえるつもりだったアルカだが、七つ目のビルディングを飛び越えた時、異常に気が付く。
(嘘……!? 私が全然追いつけない!?)
それは明らかに異常だった。
フリーランのスパルタンレースでトッププロに勝利したアルカが、目の前の灰兎に追いつけない。
しかもアルカはダッシュシューズとスプリングのコンボを決めて追いかけているのにだ。汎用ガジェットのスプリング単品をここまで使いこなす者はプロですら見たことない。
「ちょ、ちょっと待て! 待てったら!!」
「おんぎゃわあ!! おんぎゃわわ!?」
「くそう、せめて人語で話せ!」
十分以上も続いた兎の徒競走は、結局、灰兎の強制ログアウトで幕を閉じた。
息を切らしながら奥歯を噛み締めるアルカは、腰に手を当てて憤慨した。今までどんなトッププロと戦ってもここまで屈辱的な気分にはならなかった。こんなのはブルプラⅫの地獄のラスボス戦でギリギリ最終形態まで辿り着いて、うっかりミスで死んだ時以来の憤慨だ。
……いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、日輪アルカが手も足も出ないプレイヤーが存在していたことだ。
(なんなんだあの兎! 絶対プロだろ!! どこのどいつさ!?)
収録用に会話を記録していたアルカはすぐに声紋検索をネット上でかける。裏ツールなのであまり褒められたことではないが、何がなんでも特定してリベンジマッチを持ち掛けねば気が済まなかった。
声紋検索をかけること約三分。
ヒットしたのはネットではなく、意外なフォルダだった
『検索結果・7件。歌姫フォルダ』
「……は?」
目が点になる。それは歌姫の朝のボイトレをこっそり録音していたフォルダだった。
そんな馬鹿なと思ってもう一度声紋検索をかけたが、結果は同じ。
ではなにか? あの灰兎の中身が……井之頭の歌姫というのか。
動揺したアルカは改めて音声を再生。
『おんぎゃわああああああああ!?』
(これが……歌姫……??)
いやまあ、歌姫が想像していたクールビューティーではなく、かなりのドジっ子でうっかり屋さんなのは学校生活で気づいていたが、それにしてもイメージと違い過ぎる。
あの超特級の容姿と声でこれを叫んだのか?
『おんぎゃわああああああああ!?』
(……。確かに、後半の高音はそれっぽいぞ?)
何度も何度もリフレインし、どうやら歌姫と認めざるを得ないとあきらめた時、アルカはパニックになった。
井之頭の歌姫はその歌唱力だけではなく、とてつもないスプリング使いでもあった。それこそ日輪アルカが追いつけない程の腕前だ。
そしてその日輪アルカは、歌とゲームテクニックを備えた相棒を探していた。こんな偶然があっていいのかと、胸が激しく高鳴るのを抑えられなかった。
この出会いはきっと神様の起こした悪戯に違いない。
(絶対手に入れる……! 待ってろ、私の歌姫!)
*
そして翌日の朝。
エリカは歌姫の姉弟が通うというサイバースクールのサーバーにログインしていた。サイバースクールは高校間の交友が盛んで、早朝や昼休みにこうして足を運ぶのも難しくない。
金髪美人の望月七人姉弟といえばかなり有名だったらしく、歌姫の姉弟が通うサイバースクールの特定は二カ月も前に成功している。更には大学受験のために四つ子が朝から図書室で勉強していることまで把握済みだ。
今日足を運んだのは、その姉弟に歌姫の事情を聴きにきたのだ。
(あの歌唱力とスキルでデビューしてない理由が何かあるはず。誘うのはその辺りの事情を探ってからだ)
だからと言って他校の姉弟にまで押しかけるのはエリカの行動力のなせるわざだろう。他校の校舎を我が物顔で突き進み、真っ直ぐ図書室に向かう。
そのまま図書室の扉を開くと――
突然襲ってきた神々しい光に、思わず目が眩んだ。
そこには歌姫に負けず劣らずハイクオリティな、美少年と美少女が机を突き合わせて勉強していたのだ。
(うわおゴージャス! 七姉弟全員このクオリティの顔ってちょっとやばくない!?)
噂には聞いていたが、いざ目の前に現れると迫力が違う。プラチナブロンドの美少年というだけで凄いのに、それが四人も揃っている。
猪突猛進なエリカですら声をかけるのをためらってしまうほどだ。
エリカが絶句していると、視線を感じた四つ子の一人がそれに気づく。
「……ん? 俺たちに用事?」
「あ、はい。望月家ご姉弟で合ってます?」
「ええ。そういう貴女は違う学校のIDが表示されているけれど?」
「都立第二サイバースクールから来た吉祥エリカです。お姉さんの兎喜子先生についてお聞きしたいことがありまして」
四つ子は見るからに警戒心を高めた。
普通に考えて、高校を越境してまで家族のことを聞きにくる相手を歓迎するのは不可能だろう。
エリカも想定内だと、笑顔のまま続ける。
「直球で言います。私、兎喜子先生をバーチャルアイドルにスカウトしたいんです」
「……はあ?」
「何の冗談だ?」
「そもそも君は誰?」
「申し遅れました。私は吉祥エリカ。コズミックプロダクションでバーチャルアイドルをしています。兎喜子先生の歌声を音楽教師で終わらせるのが惜しいと思い、社長にかけあってみたところ、本人の意思と素行次第では考えてみてもいいと返答を受けました。そこでご家族の皆さんには素行調査にご協力して欲しいのです」
怖気づくことなく流暢に応えるエリカに、四人は顔を見合わせて驚く。半分はエリカのハッタリだが、青春院社長が兎喜子の才能を見逃すはずがないという確信もあっての言葉だ。
四つ子の一人が恐る恐る問い返す。
「えっと……それを証明できるものは?」
「ここに社長の名刺データがあります。プロダクションコードが入った本物です。それでも足りないというなら……
この声が、身分証になりますか?」
加工音声を一時的にOFFにする。効果はてき面だった。
四人は一斉に席を立って驚愕する。
「に、日輪アルカ!?」
「嘘でしょ!?」
「ハイストップ。図書室ではお静かに。あと私の正体はご内密に。じゃないと兎喜子先生をスカウトしにくくなりますので」
人差し指を唇に当ててウインクする。
四つ子は口を押えて息を呑む。
エリカにとってはこれ以上ないくらい危ない橋だが、これも全ては歌姫を手に入れる為とあれば躊躇うほどのことでもない。
スカウトの話が本物だと理解した四つ子は共に頷き合って席を立つ。
「場所を変えよう。ここじゃ人目につく」
「そうですね。音声をグループオンリーにして、屋上でお話ししましょう」
五人で屋上に行き、歌姫がどうしてバーチャルアイドルに成れなかったのかを聞いた。
両親が死に、家族を支える為に音楽教師になったこと。
夜は隠れて掃除屋として働いていること。
夢を諦めきれずに、毎朝ボイトレだけは続けていること。
そこまで話すと、四つ子の兄が悔しそうに顔を歪める。
「俺達、親戚もいなくて……兎喜子姉さんが働かないと、家族ばらばらに施設に入れられるところだったんだ」
「当時はそれが嫌で大泣きしたけど、今じゃ後悔してる。俺達が駄々こねたせいで、兎喜子姉さんは夢を諦めるしかなかったんだ」
「でも本当は、まだ諦めきれてないと思うんです! じゃなきゃ毎朝ランニングしてボイトレを続けたりなんかしないって!」
「………」
エリカは想像以上に重たい過去に、口を閉ざすしかなかった。
そして思ってしまった。
歌姫は……何もかも捨てて飛び出してきた自分とは、正反対の生き方をしてきたのだと。
(家族の為に、夢も何もかも諦めた……か)
今なら〝ENDLESS STORY〟がどうしてあんなに心に響いたのかわかる。
あの歌は歌姫にとってラブソングではなく、家族の為に捨てて来た夢に対する歌だったのだ。
夢に添い遂げることができずとも――夢の為に歌い続けることはしたい。
そんな切ない想いを無意識に込めてしまったに違いない。
「兎喜子姉さんの事情は以上です」
「ど、どうでしょうか?」
「……。一つだけ問題があります」
エリカに鋭い視線を向けられた四つ子は緊張したように姿勢を正す。
「知っての通り、公職は副業が許されません。バーチャルアイドルをやる以上は音楽教師を辞めてもらいます。そうなったとき、望月家の家計はどうなりますか?」
「そ、それは……!」
「来年まで待ってくれれば、梓姉さんと武兄さんが就職します!」
「申し訳ありませんが、コズプロがスカウト出来るのは諸事情で11月までなんです」
四つ子は血の気が引いたように真っ蒼になる。家計が火の車なのは今話した通りだ。
兎喜子が働くのを辞められないこともそうだが、バーチャルアイドルとして活動するには相応の設備投資だって必要だ。
望月家に、そんな余裕はない。
だが望月兎喜子はもう28歳。このチャンスを逃せば、もうメジャーデビューする機会はないかもしれない。
拳を握りしめて震える四つ子の兄は、絞るように声を出す。
「……兎喜子姉さんは、ずっと俺たちのために我慢して生きてきました。お洒落らしいお洒落だってしないし、BCIだってずっと旧型を使ってたし、夜の仕事だって無欠勤で働いてた。恋人だってつくらなかった。夢だけじゃなくて、人生を棒に振って俺たちを守ってくれました」
「………」
「そんな……そんな兎喜子姉さんのチャンスを、俺たちのせいで潰したくないんです!!」
四つ子の兄は深く頭を下げ、万感の思いで叫ぶ。
「俺、休学届を出してバイト増やします!! 兎喜子姉さんの為なら大学ぐらい諦められます!!」
「大学資金はあとから自分で稼ぐ!! 兎喜子姉さんは八年我慢したんだ!!」
「わ、私もです!!」
「兎喜子姉さんをお願いします!!」
続く三人も、深々と頭を下げる。
彼らも兎喜子の人生を消費してしまっている自覚があったのだろう。この降って湧いたようなチャンスが兎喜子の人生を左右すると知り、なりふりかまわず頼み込んでいる。
……勘当同然で家を飛び出したエリカには、その姿は少し眩しい。
だが同時に救われた。
家族愛を幻想としか思っていなかったエリカだが、世の中にはまだこれほど優しく支え合う家族もいるのだ。
「わかりました。ご家族にそこまでの覚悟があるなら、私も本腰を入れてスカウトに動けます」
「じゃ、じゃあ……!」
「あ、私が素行調査をしていたことはまだ先生には内緒で! あと休学届も大丈夫! うちの社長なら先生を助けてくれると思うし、何より………」
悪戯好きな小悪魔の笑顔を浮かべたエリカは、胸に手を当てて宣言する。
「最悪の場合はこの日輪アルカが、望月家の家計を全面出費しますんで♪」
これには四つ子も飛び上がって驚いた。
「は、はい!?」
「そ、そこまでしてもらう訳には!?」
「いいからいいから! じゃ、先生にはもう少し内緒にしててね!」
踵を返し、階段を駆け下りる。
足取りは軽く、瞳には覚悟と確信が宿っている。
さあ、全てのピースは揃った。
あとは歌姫を――望月兎喜子を迎えに行くだけだ。
*
そして、その放課後。
人がいなくなった学校で、早くもチャンスはきた。
学校内を駆け回る追走劇を演じた二人は、教室で二人きりになる。
「やっと見つけた。もう逃がさないよ、先生」
息を切らせながら駆け付けたエリカは、教壇の下に隠れた兎喜子に一歩、また一歩と歩み寄る。
結局、今回もエリカは兎喜子に追いつけなかった。
だがそれでいい。兎喜子のプレイヤースキルが本物であることを確信したエリカは、心中でガッツポーズしていたくらいだ。
(……誰も助けてくれない人生で、八年間必死に働いて得たスキルだもんね。素直に尊敬するよ)
両手いっぱいに家族を抱きしめて、足元に転がすしかなかった夢。
忘れ去ることも、置いていくこともできないから、つま先で蹴って転がすしかできなかったのだろう。
砕けてしまわないように、無くしてしまわないように。
何時か家族が一人前になって、その手を離れていく時まで、転がしながら磨き続けた。
だけどもう我慢しなくていい。
貴女の両手がいっぱいなら、私の手を貸してあげる。
どうせ夢以外は捨ててきた身だ。
片手に一つずつ持つのが丁度いい。
貴女が愛した歌と夢――この日輪アルカが預かりましょう!
「先生さ」
「――っ!?」
「私と一緒に……バーチャルアイドルで、天下を取らない?」
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