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連載小説 青年よ念仏を唱えよ  第4話 1969

そこでボクは支配人に告げた
おーい!カッパ黄桜を持って来てくれないか?
すると彼は言った
もうこの地にはカッパは生息しておりません
Since 1969(シンス ナインティン シックスティナイン)!

 休憩室には古臭いカウンターがあった。
見まわしたところほとんどの棚にはボトルも何も置いていない
、、メニュー表さえどこにも置かれていなかった。
蝶ネクタイの飄々とした丸いロイドメガネの支配人がカウンターの内にひとり立っていた。よく珈琲専門店にいるようなこだわりと品のあるような店主と言った出で立ち。
そして彼の後ろには何故か破れかけ黄色く薄汚れた河童の絵の描かれた看板。
そこでボクはその支配人に告げた。
「おーい!カッパ黄桜を持ってきてくれないか?」 

 するとその支配人は言った。

「残念ながらもうこの地にはもうカッパは生息してはおりません since1969!

 ボクは彼の反応に戸惑いながらも、、
「何なんだ?ボクはとても疲れているのですよ!
つまらないジョークはやめてください。
とにかく、、その河童じゃなくて、、
日本酒!黄桜だよ。飲ませてくれよ!」 

支配人は穏やかに微笑んで言葉を返した。 

「あなたぐらいの年齢の方ならご存知でしょう。
子供の頃ブラウン管テレビで見たはずです、、あの1969年の偉大な一歩ですよ!
あのGaiant Step(ジャイアント ステップ)です」
「あの日以来この地に住んでいたカッパたちはほとんど消滅し、生き残ったカッパたちはまだ多くの仲間が生息している岩手県の遠野へと逃げのびて行ったそうです」
「そのためもうこの地にはカッパは一匹たりとも生息してはおりません」 

「あっあの日、、あの日オレは、、
まだあの頃は高校2年だった。
ブラウン管テレビで担任の先生やクラスの仲間とアポロ11号の月面着陸の瞬間を教室で見ていたんだ、、、アームストロング船長が月面に印したあの足跡を、そしてあの偉大な一歩を」
「そう言えば!1969年のあの日以来日本におけるすべての神話と古来からの不思議な伝承や奇祭は全部と言っていいほど消え去ってしまったのだ」 

 私は怒りを込めて叫んでいた。
「ちきしょう~アメリカ野郎め!」 


 何の酒も存在しないことに不機嫌な私の気持ちを察しながらも支配人は有線放送のボリュームを上げた。
聞こえてきた曲はやはりまたもやイーグルス、、
「ティクイットイージー」
軽い乗りのこんな曲は心のシフトチェンジにいい。
そうだこんな時には気楽に行こうじゃないか!
そういえばおもしろいところに来たもんだ。
心を大きく持てば新しい発見もある。
オレは頭の切り替えの早いタイプだからな。 

カウンター越しに支配人とのつまらない会話がその後も続き夜はふけて行った。 

人々が深く眠りについた真夜中でさえ
廊下の向こうからは念仏の声が聴こえる
ようこそカリフォルニア旅館
ここは素敵なところ 変人ばかり
ここは埼玉県大字カリフォルニア
もう終わった場所 思い出ばかり
昭和のリアリティーとアイロニーがほしいなら
どうかぜひよって見てください
カビ臭い煎餅布団と茶渋のついた湯飲み茶碗
誰しもがスケベ心から囚われの身になった人

 それから若女将はオレと支配人がいるカウンターにやって来て俺を部屋へと案内した。
彼女はそっと部屋の入り口の戸を開けると節目がちに言った。 

「ここカリフォルニア旅館は自らのスケベ心と郷愁からこの地に囚われの身になった人たちでいっぱいなのです。みんなスケベ心と郷愁ゆえにこの地から永遠に永遠に逃れられないのでございます。
ここは僻地ゆえに狭山茶しかありませんが、どうぞおくつろぎくださいませ」と改まった感じて言ったと思うと急に笑顔で軽く、、
「お腹が空いたでしょう。
美味しいから揚げ定食を用意しておきましたので、、ぜひ食べてね」 

そう言って若女将は戻って行った。 

 この怪しげでいながら愛嬌のある若女将の姿こそ彼女の魅力であり多くの男たちのスケベ心を囚われの身にしてきたのだと勝手に納得してしまった。
から揚げ定食は今まで食べたことがないほど美味しかった。
「なんて美味しんだ!少なくとも今まで食べたから揚げとは比べものにならないくらいジューシーだ。ここに迷い込んでよかった。こんな美味しいものが食べられるなんて本当にラッキーだよ!」 

 しかし布団の中にもぐりこんでもなぜか落ち着かなかった。
ひどい疲れにも関わらず。ああ!
夜遅くなっても続く念仏やこのカビ臭いせんべい布団とか湯呑み茶碗に茶渋が付いているとかいう昭和的なリアリティとかいう類のものではない。 

 自らの人生が郷愁という幻想に囚われ先に進めないのだ。
別れた女のことはなかなか忘れられない。
過ぎ去って行ったものは自分の想像の中でいつのまにかひとり歩きし勝手に成長し始める。
 でも過ぎ去ってしまったものはもう戻らない。すべては過ぎ去って存在すらしなくてもいまだに心は囚われの身となって逃れられないだけなのだ。 

 ふと布団の脇の棚に目をやると旅館やホテルによくあるような本、、それはたいがい仏教聖典とか聖書とかいう類いのものだが、それよりももっと薄い小冊子のような、、、。
 そこには先ほどの郷愁への回答が書かれているのではないかという気になって、好奇心からその小冊子を手に取った。
「すけべ心に乾杯!」という面白い題名だった。 

 そこにはこう書かれていた。

「はじめにすけべ心ありき!
すけべ心が人類を産み出した。
人は肉体を持つ限りすけべ心とは切っても切れない関係にある。
自らのすけべ心ゆえにあらゆる対象に意識を引きつけられてしまうと自らのすけべ心にいつのまにかはまり込み対象物との囚われの関係になってしまう。これをカルマと呼ぶ。
   気がつくとみんながそのすけべ心にはまり込んでいるので、自らもみんなと同様にそれにはまり込む必要があると思い、どうやら全体がおかしなことになってしまったようだ。
   ゆえに人間はそのすけべ心を味わい尽くし完結した後にそれらを放棄することでやっと完結する。
   この完結とは人類すぺてを完全帰納化させることである。
しかし人類がもし完結し完全帰納化を達成してしまったらどうなるのかは知る由もない。
ただこのすけべ心とは我々の存在する理由でもある。
すけべ心ゆえに我ありなのだ。
すけべ心に乾杯!」

 私はこの小冊子に書かれていた内容があまりにも自分に当てはまると思いながらもアホらしく思えて来て、いつのまにか眠気に掴まれ知らぬ間にウトウトと眠りの中へと落ちていった。

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