ピンク色に染まっても戦車は戦車
私はほとんどの映画をDVDで見る。
映画館へはめったに行かない。
人見知り(ひとみしり)がひどいのだ。
朝、ゴミを捨てるのは5時30分。誰にも会いたくないからである。
電話をする前に10分間よく考えて、あらかじめ話す内容を決める。そして深呼吸を3回してから電話する。
DVDの話に戻る。DVDは便利だ。見たい所だけを見ることができる。なぜ?という声が聞こえてきそうだが、説明は省く。(はぶく)この頃はDVDプレーヤー(再生機)を持っていない人が多くなってしまった。説明するにはDVDをどうやってプレーヤーに入れるか、という所から話さなければならない。私はDVDプレーヤーの取り扱い説明書を書いているのではない。
映画の話へ進む。私は映画の冒頭とまん中あたりとラストの少し前の所だけを先に見る。これで映画の内容がなんとなくわかる。
それから、また最初に戻って、後は(あとは)まっすぐ一直線、ラストまでじっくり味わうのである。もちろん1.5倍速になんかはしない。あわてない、あわてない……
「少しずつ見て、内容が気に入らなかったらどうするの?見るのをやめるの?」と聞かれそうだが、たとえ面白くなさそうでも、私は全部見る。
作品全体の雰囲気というものがある。それを感じたい。
気になる脇役(わきやく)だけを見るという楽しみ方もある。
映画の見方はいろいろなのである。
それに、映画の内容は変えられるんだよ。
見終った後、ぼんやりと遠くを見て、願えばいい。
世界はあなたの思うままになる。
人生は映画に例えられる(たとえられる)ことがある。
映画のような人生。
私は人生という映画の主人公。
ラストは?
はっきりわかっている。
みんな同じ。
人は必ず死ぬ。その事実は変えられない。
いや、どうなるかわからないよ。
私はこの頃「死の形」というものを考えている。
少し極端な話をする。
もしかすると、あなたはUK(イギリス)の土になるかもしれない。
私の遺灰はガンジス川にまかれることになるかもしれない。
私はガンジス川を流れてゆくのだ。
そう考えると、何だか肩の力が抜けて楽になる。さっきまでスーパーのチラシを見ながら眉間(みけん)にシワを寄せて、妙に体に力が入っていたけれど。
本当のことを言おう。
死は安らぎ。
生きていることが恐ろしい。
今、息をしていることが恐ろしい。
私は声をひそめる。
世の中、何が起きるかわからない。
現実をコントロールできる人なんて、誰もいないのだ。
あの指導者も明日のことはわかっていない。
だから戦争が次から次へと起きる。
がれきがテレビを埋めつくす。
ああ……
私はコップの水を一口含んだ。
もう一口。
息をふぅーと吐く。
灰色の世界が色鮮やか(あざやか)な世界に変わった。
戦車がピンク色に染まった。
ピンク色に染まっても戦車は戦車。
だけど、私は世界に色を一つ加えるようなことをしたいと思った。
バスの運転手に「ありがとう」
コンビニの店員に「ありがとう」
伝わっているかな?
私は人見知りなので声が小さい。聞こえていないかもしれない。聞こえたとしても「それがどうした」というのが真実かもしれない。
そして、朝。
空爆のニュースで世界は色を失った。
血まみれの子供を抱えた(かかえた)父親が病院へ急ぐ。血の色だけが妙に鮮やかだ。
打ちひしがれながらも、私は今、空爆をした国へ投げつける最高のブラック・ユーモアを考えている。
世界を色鮮やかなものにするために。
ブラック・ユーモアは黒一色ではないはずだ。