howmilesaway 1
その日の気温は二十一度セルシウスで、私はシャツの上にブラウンのジャケットを羽織っていた。生ぬるい風が頬と顔まわりの髪の毛を撫でて、今日はこれじゃ暑かったかもしれない、と思わせる雰囲気。
隣を歩くハナのブロンドがひらひら揺れる。カーリーヘアーをふたつに束ねて、まっすぐに下ろした前髪を気にしてしきりに手でなでつける。ブラウスの上に花柄のキャミソール、頑丈なデニムのミニスカートは決して揺れなかった。湿度は六十パーセント、夏が近いある朝の終わりごろ。
「ねえ、別にきれいだよ。そんなに気にしなくても」
執拗に前髪をなで続けるハナに、私は言った。
「今はきれいでも、すぐ風で崩れちゃうの。だから先回りしてるだけ!」
車が全く来ないロードウェイの白線はなぜかはげかかっていて、私たちはそのはしの方を歩いていた。ほんとにあるのかわからない店への行き先を示す看板、本物か偽物かよくわからない雑草が生い茂る所有者不明の土地。それでも少し涼しくて、私はあついコーヒーが飲みたくなった。
「お腹すかない?あとコーヒー飲みたい。お昼にしようよ、『ライフ・ゴーズ・バイ』で」
言わなくてもわかるけど、行きつけのダイナーの名前をわざとらしく発音した。ハナはちょっと嫌そうに目を細めたけど、すぐによくやるいつもの表情に戻った。上目遣いで周りを見ながら、グロスでキラキラした下唇を突き出す。
「ちょっと飽きてくるけど、あそこしかないね、結局。いちばんちょうどいいからね」
私たちは、ロードウェイをまっすぐ歩く。
お昼前のダイナーはそんなに混んでなかった。ドアを開けると、四人がけのボックス席が縦にずらりと並んでいるのが見える。BGMはSenor Mouse、店の照明は明るめ、ウェイターは愛想が良くも悪くもなくて、まさにこれが「ちょうどいい」。
私たちは窓際の、大きな観葉植物の近くの席に座った。テーブルの上には、ケチャップ、マスタード、タバスコ、それに白と茶色の角砂糖。黄ばんだメニュー表はもう見慣れたものだけど、これは私たちが持つ小さな選択肢だ。何にする?今日はね、なんの気分かな‥。今日は何を食べるのか。セットのドリンクはコーヒーか紅茶か。アイスかホットか。
店員を呼びつける。ウェイターは急いでもだらけてもない様子で、左手にメモ帳を、右手にボールペンを握りしめながらこちらにやってくる。パンケーキにホットコーヒー、ホットサンドイッチにアイスティー、どっちにもサラダバーをつけて。気のない返事で、ウェイターは奥へ下がって行く。私たちはサラダを取りに立ち上がった。
サラダバーにはレタス、キャベツ、トマト、オクラ、とにかくいろんな野菜があって、そのほかにもりんごとかオレンジとか、運がいいと四角くカットされたグレープゼリーなんかもある。ハナはバカみたいにオクラをたくさん取った。私はレタスとトマトをお皿に盛って、違うお皿にグレープゼリーを入れた。欲張ってたくさん入れた。
「髪、伸びたんじゃないの?」
席についてトマトのヘタを取っていると、ハナが言った。私は顔をあげる。
「そうかな。自分じゃ気づかないんだけど」
自分の髪の毛をを見つめる。ダークブラウンの毛先に、金色を仕込んでいる。金色はくるくると遊んでいる。赤く塗った爪で、髪の毛を少し触った。
「伸びたね、わたしから言わせて貰えば。今度ママに切ってもらいなよ」
そう言うハナの口の中に、オクラが次々に吸い込まれてゆく。ハナのママは美容師だ。私は黙って頷いた。
ウェイターがパンケーキとホットサンドイッチを運んできた。その後にコーヒーとアイスティーも。優秀なウェイターは、誰がどれを頼んだのか完璧に覚えていて、私の方にパンケーキとコーヒーを、ハナの方にホットサンドイッチとアイスティーを置いた。
ココナッツオイルで焼いたパンケーキは薄くて大きくて、平べったい皿の上に三枚重ねられている。私は一緒にやってきたメープルシロップをたっぷりとパンケーキの上にかけた。白いお皿の上にメープルシロップの海ができて、そんなに厚みのないパンケーキがひたひたになっちゃうくらいたっぷり。
「わーお、またそんなにかけちゃって。糖尿病になるよ」
「医者みたいなこと言わないでよ、私の自由でしょ」
「自由」という部分にそこはかとなく力を込めて、ハナに言い返した。ほんの小さくても、これはれっきとした私の自由なんだ。そのひとつひとつを大事にしなきゃ、っていつも思う。
びしょぬれのパンケーキを食べながら窓の外を見れば、いつもは人通りの少ないロードウェイがなんだか騒がしい。目を凝らしてみると少し遠くに、何か光るものが見えた。
「ねえ、あれなんだと思う?」
わたしはハナに聞いた。ハナはストローから唇を離して答える。
「カーニヴァルでしょ。今日の夜から稼働するって、誰かが言ってた」
ハナのその言葉を聞いて、私も誰かがそんなことを言っていたのを思い出した。
カーニヴァル。この静かな街に、カーニヴァルがやってくる。
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