私の死ぬまで日記 23日目
こんばんは。
今日は少し進歩があった。過食嘔吐を我慢できた。少し過食気味ではあったが吐くのを堪えることができた。昨晩辛すぎて冷蔵庫に過食嘔吐を抑えようと張り紙をしてみた。意外と効果はあった。
朝オンラインレッスンの始まるギリギリの時間に起床し準備をし少し練習をしてレッスンを受けた。学年が上がるタイミングで門下の先生を変えたのでオンラインだとはいえ初レッスンだった。前についていた先生は私にとても期待してくださっていてとてもありがたかったのだが「試験のためだけにピアノを弾きたくない」と思った。残り少ない学生生活、できることなら色々なことを経験したい。アンサンブルもしたい。コンツェルトも弾いてみたい。そんなにできっこないのは分かっているがとにかく試験で点数を取るためだけに弾くピアノは退屈なものであった。期待してくださった分残念な思いをさせてしまったが自分の意思を主張出来て良かったと思う。私にとってピアノってなんなんだろう、と考えた時幼い時は確実に「親や周りに褒められる手段」であった。弟の方が勉強ができて褒められていてどんなに頑張っても弟にはかなわなくて肩身の狭い思いを勝手にしていたが、ピアノだけは私だけの特技だった。小学校、中学校でもピアノの弾ける人は限られていたしその中でもよく弾けるほうだったので友達は少なかったが伴奏者を務めたりして合唱コンクールの時には沢山褒められ必要とされた。
今私にとってのピアノってなんだろう、って考えた時音楽大学に進学してから少し違うものになった気がする。ピアノの練習をすることが大好きだった私がピアノを弾くのが億劫になった。自主的に、ではなく半強制的に、になった瞬間大好きなものがこんなに嫌になってしまうのかと悩んだ。他の普通の四年制大学に進学した人達が授業終わったらすぐにバイトをしたり飲み会に行ったりしているのを少し嫉妬したりもした。今も少ししてしまう。試験のためのピアノは練習量ありきだし自分のやる気の有無は関係なかったので毎日泣きながら弾いていた。
最近は嫌な時は徹底して弾かないことにしている。すると不思議なもので数日経つとものすごく弾きたくなる。自分はやはりピアノが好きなんだなと自覚する。一人暮らしをしているので自分の感情をぶちまけることが極端に少ない。ツイッターに依存しているのも人と会話する機会が少なくて自分の感情を発散したいからだと思う。ツイッターのようにピアノも文字ではないが直接的に感情をぶつけられる手段なので好きだ。シューマンのドロドロとした感じや生い立ち境遇、すべて自分に当てはめて自分の曲のように弾く。とてもスッキリしてたまに涙が出る。
なんで音楽大学に進学したのか、将来なんてないのに、ってたまに思うけど今楽しければそれでいいのかなとも思う。自分でお金を貯めて、または親のスネかじって大学に入り直して他のことを学んで他の分野で就職するのもいいかな、とも思う。将来は不安。数ヶ月前の状態が一生続けばいいのにな、と思う。とても不安。不安な気持ちをピアノにぶつける。とても気持ちいい。
明日も人間生活を送らなければならない。今日は我慢できた過食嘔吐も明日は無理かもしれない。怖い。不安。近い将来である明日でさえ不安なのに就職活動?進学?訳分からない。悩んでもしょうがないのは分かっているが今できることを全力でやるしかない!みたいな考え方はできない。今はできないの方が正しいか。
よく分からない文章をダラダラとごめんなさい。たまにこの文章が公開であることを忘れてしまう。誰かに見せるために自分の感情や思いや考えを文章に残す人って凄いよなあ。第三者のことを考えながら自分の感情を伝える、なんて高度なことは私にはできない。あと何日書くのかな。取り敢えずおやすみなさい。