私の死ぬまで日記 13日目
こんばんは。遅くに失礼します。
今日は実質死んだ。絶望ってこのことを言うんだって思った。一生懸命頑張って頑張ってそれでも報われないことってあるんだ、と痛感した。
今まで何かと上手くいってきた。今まで本気で努力したことなど数えられるほどしかないが本気で努力をしたらその分だけ報われてきた。初めて本気で努力して報われない、という経験をした。それだけ本気になれた。
頑張って努力してそれでもダメ(でも可能性はゼロではない)という生き方と頑張らないで死ぬ(傷つきはしない)のどちらがいいのだろうか。私の今のメンタルだと後者を選択する。これ以上傷つくのがとても怖い。傷ついた後にたち直せるのだろうか、分からない。恐らく傷つく度にドン底まで落ちてしまう。
井の中の蛙大海を知らず、とあるが井の中で完結できてそれで幸せ!となれるタイプであれば恐らくそれはこの上ない幸せである。大海を知って傷つくリスクもなければ幸せである。だが私は井の中で完結できないタイプである。上手く生きれないくせに大海を知ろうともがいて傷つくことがとても多い。自分の身の程を分かっていない気もする。
その時に自分に与えられる境遇は自分の身の程相応の境遇なのだろうか、と思った。今私は幸せになっていいような身分ではないから幸せになれない。うまく生きてはいけないから上手く生きれない。そんな理不尽なことあるのだろうか。そもそも生命が与えられた時点で理不尽である。こんなこと考えずに幸せを感じられる人だっている。
私は傷つくことにとても弱い。ルーティーンが崩れることにもとても弱い。どちらも少しでも亀裂が入ると全て壊れてしまう。私は幸せで楽しい、というルーティーンが崩れると自分は幸せになってはいけなかったのだと自覚する。これが正しい身分相応なんだろうな、と思う。そんなの悔しい。でも自分の人間性や持って生まれたものがいけないのだと思う。
幸せになりたい、そのためには恐らく相当な妥協も必要である。妥協して妥協して、残ったものの中で幸せになれないといけない。私にこれは妥協してもいい、などといった正しい取捨選択をする能力はない。だから上手く生きれない。上手く生きるためには正しく取捨選択をしなければならない。私は何かおかしい。
話の落ちどころは無いし自分の感情をそれなりにぶつけられたので今日は失礼します。あと何日で死ぬのだろうか。早く死にたいし出来れば死なずに幸せになりたい。だがしかし自分の身分や人間性、境遇など全て考えた上で早く死にたい。あと何日だろう。おやすみ。