私の死ぬまで日記 118日目
こんにちは。
暫くぶりです。
最近実技試験もあり出勤もありでバタバタしておりようやくゆっくりと書ける余裕が出てきたので書きます。
まずはなんと言っても最近実技試験があった。師事する先生を変えてから初めての学校の試験。今までは「こんなに手をかけてもらったから何とかいい点数を取らなくては」という音楽を楽しむの欠片もない試験期間を過ごしていたが、今回は「弾くこと」よりも「聴くこと」に特化し自分の演奏を客観的に見られるように練習を重ねた。
先生を変えるまでの私はテクニックばかり気にして弾くことに精一杯になっていた。なので鍵盤と耳の距離が近く響いている音に注目できていなかった。「頭の上でなっている音楽を楽しみ、響きを聞く」練習をした。素敵な学校の大きなホールで弾ける機会、試験とはいえ楽しもうと思い点数を気にせず自分の好きな演奏をした。
ピアノを弾くことが最近とても楽しい。自分の感情を乗せることは難しい。ショパンのバラード4番。譜読みをのんびりと初めてから約10ヶ月。技術的に間に合ってないことがあるのは然り、前半の「揺れ」「調性の不安定さ」に気持ちをうまく乗せられない。不協和音や短和音に重きを置くと良いとアドバイスされた。自分の不安定さ、人生において感じる世知辛さ、生きづらさなど乗せたい大切な曲。不安定な時に聴いて救われた曲。特別なコンサートで弾くので何とか自分のものにしたい。
最近は生理前で鬱状態が続き、過食嘔吐も止まらなかった。それでも以前と変えたことは鬱状態になって体調を崩してもとりあえず何かしらする、という習慣をつけた。一日何もしないのは週に一度程度にする。休憩を怠惰だと感じてしまうので、何もしない自分を嫌いにならないように何かしらする。
躁鬱だからって諦めて周りに甘えるのではなく、躁鬱なりに出来ることをする。境界性パーソナリティ障害だけど、発作が出ると思ったら周りと関わらないようにして被害者を出さないようにする。人間に依存しない。少しずつではあるが生き方がわかってきた気がする。
まだまだ全然模索中ですけどね。とにかく病気だからって諦めて甘えて周りに迷惑かけて開き直るのは違う。病気になったからこそ分かる繊細な部分だってあるのだ。鬱状態になっている時こそ無理やり文字に起こして少しでも緩和させる。頑張って生きている。おやすみではないですが、この日記は毎回おやすみでおわっているので。おやすみ。