私の死ぬまで日記 124日目
こんばんは。
またまた久々の投稿です。
忙しかった訳ではなくいつも通り平凡に過ごしていました。
最近の変化と言えば、躁と鬱の間隔が狭くなってきた。いつもこの時期になると気付けばメンタルが崩れることが多いが、今年はどうやら事前に気づくことが出来ている。気づいたからといってどうにかできる訳では無いが、自分のことを知ることによって毎年毎年を無駄に消化せずに済む気がする。
頑張ってることって全て報われるわけではなくて、何かと上手くいかないことの多い人生。今日バイト先の店長に「10頑張っても10報われる訳ではない、逆に1しか頑張ってなくても10報われてしまうこともある」「大事なことは報われても報われなくてもいつも通り頑張り続けること」と言われた。真理をついている。生きるってそういうことだと思う。
今回のピアノの試験の成績が良かった。もちろん今まで2年半の積み重ねもあるだろうが、今期特別頑張れたか?と聞かれたらそうでも無い。言うならば7ぐらいしか頑張れなかったのに9ぐらい報われてしまった。先生にも沢山褒められたが、自分のことでないように思えた。ひねくれている。恐らく生きているって予測できないことの積み重ねだから素直に喜んで良いのだと思う。
キャバクラで10を注いで頑張っているのになかなかお客さんが付かない。10注いで10返ってくる時期もある。ひねくれて病んでしまったが今こそ頑張り時のように思える。
ピアノも仕事も、そもそも生きることも、完璧主義に生まれてしまった以上頑張り続けるしかない。完璧に物事をこなし続けることもそうだが、休むべき時は完璧に休む。これが完璧主義の人間の生き方なのかもしれない。0か100でしか物事を考えられないということはいいように考えれば人よりオンオフを付けられるということだと思う。周りから見たら極端な人間に思えるかもしれないが、私のような人間はきっとそういう風にしか生きられないから。
最近鬱になった時のとらえかたや考え方が変わった。双極性障害と上手く向き合えている気がする。少しのことでも自分を褒めてあげて自分の機嫌をとる。自己満足に過ぎないが生きているのは私なのでそれでいいと思う。最近はそんな感じ。
今日も学校も仕事を終えて電車に乗っています。明日の朝はレッスン。そこから授業を受け学校に行き、合わせをし室内楽のレッスンを受け少しだけ出勤する。忙しいけど考えないといけない時間が少なくて、体力的に辛くても精神的にとても楽。大学にも色々なことを話せる友達が増えた。鬱病だけど幸せに生きている。おやすみ。