私の死ぬまで日記 136日目

こんばんは。

ご無沙汰しております。

このマガジンを開設して以降もっとも間が空いてしまいました。メモ書き程度の日記は中学生以降一度もおやすみしたことがないと思う。特に理由はないが、久々に感情をさらけ出したい気持ちになったのでまたここ書いていこうと思う。

この日記を更新していないうちに、というよりつい先日21歳の誕生日を迎えた。当たり前に20歳を思い返した。20歳の誕生日を迎えた瞬間はウィーンのホテルにいた。余談だが現地時間の0:00は部屋のオートロックに締め出され、途方に暮れていたなどという事件から20歳はスタートした(笑)現地時間0:30過ぎぐらいに母から送られてきたLINEを今でも覚えている。「子育ては初めてでお母さんも沢山失敗したけど、それでも生まれてきてくれてありがとう」と書いてあった。誰だって子育て、というより人生そのものが初見プレーなのに「なんでもっとこうしてくれないんだ!」「親(主に当時は母親)のせいでこうなった!」と親のせいにしていた部分が多少、いやかなりあったのでその文章を見た時にはっとした覚えがある。自分に精神的な余裕が無い時はついつい親のせいにしてしまう節はあるが、きちんとその感情を反省できるようになった。反省することがいい事かどうかは分からないが何でもかんでも否定することはしなくなった。

20歳、思い描いていたものとは全く違った。4月は自殺未遂をした。あんなに死のうと思ったのも初めてだった。それを機に中学生から続けている日記をこうしてノートで公開するに至った。人のことが憎くて自分ばかり被害者だと思っていた。

金銭面の自立をしようとした。キャバクラで働き始めて、金銭的余裕と売上による自己肯定感が生まれた。全てが良い事だとは思わないし理解されない職業だったがピアノを買う夢が叶った。

あとなんだろう、読書が好きになった。でも相変わらず自己啓発本は嫌い。

20歳、コロナ禍での20歳だったが自殺未遂をしてしまうほど追い込まれたこと、自力(もちろん全てではない)で生きることを考えたこと、色々な選択をしたこと(休学、ピアノ購入、将来のこと)、在り来りな言葉でいうと無駄でなかった20歳だった。すぐに死にたい、消えたいではなくて少しだけ自分のことを客観視したりそれこそ周りを見たりして死ななければならない状態なのか、死んだらなにか変わるのか、行動に移す前に一度考えられるようになった。

21歳になった今も摂食障害(過食嘔吐)、躁鬱、人格障害に悩まされる日々だし、そう簡単に変われるものではないのだろうが、これを受け入れて生きていくしかないし自分の人生について少し諦めがつくようになった。なんであんなに「普通」を望んでいたのか、今でももちろん望むが、少しバカバカしく思えるようになった。

21歳もきっと生きるし死なないし死ねないけれど、死が目標ではなく受け入れた上で生きていくしかないという悟りのようなものができるようになったと思う。強い。少し悟れるようになっただけでものすごく生きやすい。きっと普通よりか生きにくいのだろうが私にとっては生きやすい。

おやすみ。

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