私の死ぬまで日記 69日目
こんばんは。
今日は過食嘔吐が止まらなかった。退院後一週間で元通りになってしまった。せっかく出してもらった入院費、お父さんお母さん本当にごめん。長年で蓄積した癖は完全に病気だし数日じゃ何も変わらなかったよ。せっかく頑張って稼いだお金の大半も過食嘔吐に消えてしまう。でも、稼いでいなかったらどうなっていただろう。この食べ物への執着心と罪悪感は平気で万引きでもしてしまいそうなので働き続けなければならない。あまりにたくさんのものを失ってしまった。何が悪かったのだろう、とかどこから間違えたのだろう、とかたくさん考えてしまうが考えてもしょうがない。全部全部重なって運が悪かったのも要因の一つだと責任転嫁しないと壊れてしまいそうになる。
今日は一時間弱だけピアノに触った。無理やりにでも集中しようと思い携帯のアプリで自分を管理した。たった一時間弱だが「今日何もできなかった」とはならない。ほとんど食べ物を食べては吐いていたら時間が過ぎ去ってしまったが1時間弱だけは自分にとって財産となる時間にできた。全く触りすらできなかったピアノ、ほとんど何もしていないに等しいが少し嬉しかった。
大学に行って学べてよかったという気持ちと大学さえ行かなければという、気持ちがある。精神状態が安定している時は音楽の勉強は楽しくて奥が深くてもっともっと勉強したい、となるのに精神状態が安定していないことの方が多い。きっと今のような時間を大人になって後悔する。自由に学べて時間がそれでも有り余っていることなんて学生のうちにしか経験できないことなのに。たくさん焦る。もう2年もない。せっかく与えられた勉強のチャンスを精神病のせいでたくさん犠牲にしてしまった。1日でも早く、と焦れば焦るほど空回りしてしまう。何が悪かったのだろう。なんで私は障害者なのだろう。なんで生まれてしまったのだろう。キリがない。悔しい。障害者なりの生き方を探さなければならない。病気を理由にしているのだなんて甘えだ。自分を責めてしまう。せめている時間がもったいない。
悔しい悔しい。こんなこと本来考えなくてもよかったのかもしれない。幸せになりたい。普通に生きたい。なんで生きるのってこんなに難しいし不平等なのだろう。なぜみんなはできることが私にはできないのだろう。なんで感情をコントロールできないのだろう。なんで普通に人と付き合うことができないのだろう。解決策を探すことを避けている気がする。普通への嫉妬が止まらない。できることはきっとたくさんあるのに。
ここ数日の感情を早く消し去りたい。明日はどうだろう。起きるのが怖い。全部忘れてずっと眠っていたい。そうも行かないので、おやすみ。