私の死ぬまで日記 18日目
こんばんは。
今日はひたすら過食嘔吐が止まらなくて苦しかった。ずっと食べては吐いてを繰り返してなんでこんな当たり前のことすら出来ないのかと思いたくさん泣いた。
高校時代の親友2人とオンライン飲み会をした。私は今人の幸せを心から祝福できるほど余裕が無い。その人の幸せ、というものが親友の幸せであっても祝福できない自分に苛立ちを覚えた。醜い。情けない。自分の幸せは喜んでくれたのに何故私は喜んであげられないのだろうか。とても苦しくなった。
彼女たちは誰よりも私のことを分かっている。誰よりも私のことを見ていてくれる。だからこそ自分にとって図星だな、と思う意見を沢山くれる。有り難い。今日の私はひたすら醜かった。とにかく余裕がなくて図星なことを言われると泣きそうになってしまった。そんなの分かってる、でも出来ないんだ、という葛藤が止まらなかった。
だけど一つだけ、私は金銭的に困った時に親を頼ったことがほとんどなかった。一度もなかったかもしれない。毎回鬼のようなシフトを組んだり(これが大半)大金が必要な場合(整形など)は水商売をした。どちらも精神がとても不安定になった。私は精神状態が乱れると金遣いがとても荒くなる。自暴自棄になる。あとは毎日過食嘔吐がやめられなくなる。ゆうに1日4000円以上を食費に当ててしまう。どうせ全て吐いてしまうのに。過食嘔吐が主たる理由である。情けない。お金の管理すら出来ないのか。情けない。バレたくない。そんなふうに親に思われたくない。絶対に今まで言えなかった。
だが、それで今鬼のようなシフトを組んだり水商売をしたりしたら余計にメンタルが崩れるのも分かっている。正確に言うと今日親友2人の話で再自覚した。それは本末転倒だと改めて思った。めちゃくちゃ勇気が必要だったが父親に連絡してみた。情けない。こんな娘でごめんなさい。でも連絡して良かったと思った。まだ返事は来ていないが、2人はやっぱり自分のことをとても見てくれているんだと思った。私はとても心が狭いし自己中心的だがそれでも私のことを大事に思ってくれる人っているんだなって思った。「また同じことを繰り返して私たちに泣きついてくるんでしょ」と言われた。自分でも薄々分かっていた。これで誰かに頼らずに自分でどうにかしようとしたら必ず後悔すると分かっていた。一番近くで見てくれている親友にも同じことを言われて信憑性が勝手に増した。
なぜだか分からないが、幼い頃から私は自ら親を頼るということがとても苦手だ。沢山わがままを言ってきたし、(音大受験や一人暮らしなど)これ以上頼ったらいけない、と思っていた。あとは情けないと思っていた。自分がこれ以上失望されるのが怖かった。
でも、はじめて第三者の立ち位置で考えてみた。精神が安定していないのに鬼のようなシフトを組んだ場合、最悪水商売に手をつけてしまった場合、親はきっと「なんでそんなことをするんだ、なんで頼らないんだ」と思うと思った。あくまで私が親という第三者の立ち位置にたった場合だが。人を頼るのってとても勇気がいる。親なら尚更である。少しだけ成長できた気がする。
もし、本当に金銭的に助けて貰えた場合のことを考える。まずは過食嘔吐を辞めなければ元も子もない話である。自分のお金の大半をどうせ吐いてしまう食べ物に使っているからだ。どんなに節約してもどんなに1個100円のおにぎりでも、大量に摂取してしまう。止まらなくなる。そして吐いてしまう。過食嘔吐以外の自分の精神の保ち方を見つけなければならない。また迷惑をかけてしまうことになる。難しい。まだ考えなくてもいい気もする。でもそれだと余計に迷惑がかかる。お金は湯水のように湧いてくるものでは無いから。
とりあえず今日は親友2人に感謝した日であった、でいい気もする。これ以上考えると疲れてしまう。現に今日記を書きながらものすごい勢いで食べ物を頬張ってしまっている。恐らく寝る前に罪悪感に狩られて吐くのだと思う。なんか今日は一つ成長できたからそれでいい気がする。
精神病は甘えという考えは悪だと、精神病患者は言うが、私は甘えだと思う。自分は甘えすぎだ。甘えて甘えて責任転嫁して自分を守ってとてもダサい。最低。
いつか自分のことを認めてあげたい。常識のある甘えを身につけたい。そしたらまた生への意欲が上がる気がする。
長々と失礼しました、おやすみ。