私の死ぬまで日記 81日目
こんばんは。
今日も普段と特に代わり映えしない平凡な月曜日を過ごした。
朝9時にアラームをかけたはずなのに例によって失神するほどの眠気に襲われて起きたら授業開始ギリギリの時間だった。この一週間で変わったことといえばこの授業ギリギリの時間に起きて授業を受けてその後に自宅に引き籠もらなくなったことだ。登校するようになった。学校の練習室にいき数時間ピアノを弾くという習慣が戻り始めた。ついに校内でもコロナウイルスの感染者が出て油断できない状態とはなったが外出することによって生活にメリハリがついた気がする。単純に少し追い込まれている状況だから練習室に通い始めたっていうのもあるが(笑)
今日も高校の時の担任と少し話した。ハッとすることに気がついた。自己目的化。三浦春馬さんの自殺の件で考え始めたことだが、自分にも沢山当てはまる節がある。私はメンタルが崩れてしょうがないとき、どうしようもない孤独感に苛まれた時、如何にもこうにも状況が改善しない時「死ぬ」ということが脳裏に浮かぶ。でも鬱病が悪化して常に希死念慮と戦っている現在、死ぬことは本来自分が楽になるための手段として考えていたはずなのに死ぬことそのものが目的になってしまっているように思えた。死んだら今の状態がどうなる、とかではなく死ぬことがゴール。それって結局何も解決しない無駄死にではないか。死後の世界はわからないしもしかしたら極楽浄土、全てがうまくいき何もかも順風満帆に進む世界かもしれないが、死ぬことがゴールになってしまっているようでは本末転倒のように思える。急に希死念慮が薄くなるのを感じた。
死にたい死にたい。消えてなくなりたい。私にとって日常的な感情だが、「死んでどうするの?」。楽になるかもしれない、」と思えば手段だが自殺って手段なのだろうか。自殺した、という肩書きを得るための目的、といったら語弊があるかもしれないがそんな気がする。自殺って何かに対するメッセージなことが多い気がするし。そんなことを考えながら寝るわけです。終わりがわからなくなりそうなのでこの辺で。おやすみ。