私の死ぬまで日記 121日目

こんばんは。

昨日は医療ローン120万円で鼻の整形手術をしてきました。てっきり全身麻酔で寝ていれば終わると思っていた整形だが、笑気麻酔と局所麻酔のみで意識も痛みもある状態での手術だった。

人生で一番長いと感じた四時間だった。元々可愛く生まれていれば、もしくは不本意ではあるが可愛くないけど自分のことを認められていればこんなに痛くていつ終わるか分からなくて苦しい思いをしないでも済んだのではないか、というどうしようも無いことばかりを考えていた。

私は今年の四月に本気で死を考えた。死を考えさせられる大きなきっかけがあったわけではなく、単純にいつまでも同じ失敗を繰り返していく自分に失望したからである。このまま生きていても同じ失敗をして「また同じことをしてしまった」と自己嫌悪になって生きている意味を感じなくなった。

そこから死ぬ、ではなくどうにかもがく、に意識が徐々に変わっていったのだが(変わっている最中というのが正しいだろうか)死について深く考え毎日絶望していた日々は整形よりも痛いものだった、と思った。

いつ終わるか分からないけどいつか必ず終わる痛み(整形)と自分の人生に絶望した心の痛みは種類が違う。どちらが苦しいものなのかと考えた時圧倒的に後者だった。

今も顔がパンパンに膨れ上がり永遠に鼻血が出て傷口が痛すぎて数時間に一度起きてしまったり動けなくなったりダウンタイムの不安でメンタルが崩れているが、いつか終わるって思うと耐えることが出来る。

心の痛みと物理的な痛み、一緒にするのは良くないが「何度も同じことを繰り返してしまうから死にたい」ではなく「何度も繰り返して終わりが見えないけどいつか終わるから生きよう」にシフトチェンジ出来たら素敵だな、と感じる。そんなに上手くはいかないのだけど。

大袈裟に思われるかもしれないが、自分にとって120万円は大金であり、人生をかけて(過言かもしれない)四時間もかかる大手術を受けたので、少し考えさせられるものがあった。こんなに頑張ったのに死んでしまうのは勿体ない。

鬱病、という慢性的に死を意識する精神疾患を持ってしまった以上薬や対人関係などでコントロールしていかなければならないのだが、この経験でどうか死を選択しない人生を歩めればいいと思う。死を意識してもいいし悩んでもいいけど実行しないで欲しい。どうせ直ぐに消えたい、死にたいと思うのだろうけど今はそうやって思うかな。

自分語り失礼しました。おやすみ。

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