私の死ぬまで日記 17日目
今日も死ななかった。
午前中に起きた。行動をしだしたのは15時を過ぎてからだが、音大生としては自覚が足りないものの2時間弱練習し、ゲームをし、オンラインでサークルの仲間と人狼をした。サークルの仲間に彼が居て「一言謝ってから息しろよ」という気持ちを抑えつつ、なるべくなるべく早く殺して顔を見ずに済むように仕向けた(くだらない)。
同じ蚊帳の中の人間と付き合うとこうなるのは分かっているが、自分の方が発言をしたり自分の方がその場限りで優位な立ち位置にいることによって精神を保った。何を感じどう思った、そして私に何をされたかを考慮してもやはり人格を否定する言葉を精神異常者にかけるのは違うと思う。精神異常者はその言葉によってさらに自分を追い込んでしまうから。一言何かよこせよ、とは思うが伝わらない。虚しい。悔しいので誰よりもバカになって誰よりもその場限りでは楽しむことにした。
むかつく。私は同じ人間には思えないのか。周りにもそう思われているのだろうか。色々感じた。実際に高校時代につるんでいた人の「お前に不幸にされた」の一言で「他の周りの人も不幸にさせているのなら自分が身を引くべき」だと本気で思い退学した。私は人の言葉に影響されやすい。むかつく。とてもむかつく。「同じ人間とは思えない」の一言で自分の価値を自分で下げてしまったから。自分の中では下げざるを得なかったから。
全然関係ないが、私の幼なじみが大学を中退した話を聞いた。それを聞いて「周りの目を気にすることってとても怖いな」と思った。彼女には夢があった。夢を実現するべく大学入試の勉強に励み資格の取れる大学に進学した。周りから見た自分のキャラってそこまで大事だろうか?とも思ったが彼女にとって真面目に見られることは悪であり、不真面目な方がノリがよく周りも絡みやすいだろうという意見であったのだろう、と思うとなんとも言えない。そこまでするものか。でも自分も具体例は違くとも、本質的には同じようなことをしているのではないか、と思った。
周りの目や周りの言葉によって自分の位置を確立し生きていることを自覚している人間ほど脆いものはないと思う。いい意味で他人に興味が薄い人間ほど生きるのが上手いと思う。高校時代の担任は子どものことも「結局は他人」って思ってるところもあるから、最終的には「勝手にしろ」となり、縛り付けることによって自分に負荷がかかるのが怖い、と言っていた。聞こえは悪いかもしれないが、一番強く生きていけるのはそういう考え方をしている人間だと思う。私もいい意味で他人に興味のない人間になりたい。干渉しすぎず干渉されすぎない人間、とても憧れる。そうなれたら私は少しは生への願望が強くなると思う。
人間本質に依存することも他人の意見や言葉に依存するのも一緒だと思う。要するに自分に自信がないから他人に頼ってしまう。いつの間にか依存してしまう。相手も似たタイプだった場合「共依存」という最悪のパターンに陥る。難しい、とても難しいけどそれに打ち勝てるのは「他人にそこまで興味がない」っていう事実だと思う。どうやったら気にせずに済むのだろう、どうやったら依存せずに距離を保てるのだろう、どうやったら病気のせいにせずに真っ当に生きれるのだろう、全く分からない。
私の生きる目標は「他人に優しくなる」であったが今日を境に「他人に興味が無くなる」「他人に期待しすぎない」が加わった。他人に興味が無くなると変に干渉せずに本当の意味で優しくなれると考えているので紙一重だと思う。難しいが生きている以上しょうがない。
本当は死んでしまいたいけど生きていないといけないならこうやって生きていこうって思った。
そして高校生の時に淡く抱いていた「心理学を勉強したい」「勉強するために大学に行きたい」という思いが増した。私は裕福でもないのに音楽大学に通わせてもらっているのでそこから更に心理学を勉強するために大学に行きたい、など言えるわけがないが自分に学びの意欲が湧いた。この意欲をどう処理していいかは分からないが少しだけ自分に対して安心した。
早く死にたい、その意見は当面変わらないが死ねなかった場合、死ななかった場合にどうしたい、どうなりたいというのが少し具体化されて嬉しかった。死にたい、でも死ねないので生きる。あと何日で日記を終わることができるだろうか。