私の死ぬまで日記 2.5日目

とてもセンチメンタルなので話題が尽きなくて2日目からの心境の変化を綴りたい。

彼氏と別れた話はしましたが、別れようとなった時に話を聞く耳も持たずに別れようとしてきた彼が謝ってくれました。私の話も聞いてくれたありがとう。

カウンセリングに二人で行って落ちどころや納得する考えを出そう、そう言ってくれました。天才だと思った。

私の躁鬱のせいで彼まで精神がおかしくなってしまっていた(ごめん)ので第三者を交えての話しあいって大切だと思った。

そして自分の父は案外良い奴なんだと気付きました(上から目線ですが)。今まで父は私の精神病について理解がなく薬を捨ててきたりした(昔)ので嫌いでした。でも、父も人間なので間違えることがあるんだと思いました。今はしっかり理解してくれていること、知らなかった。

同時に母が嫌いになりました。母もいい人です。やり方が悪いんだと思います。母も人間だし子育ては初めてなので分からないんだと思います。私には行動一つ一つが癪に障ります。なので嫌い。今は嫌い。後に理解できるのかもしれない。でも今は嫌い。

人間話せばある程度分かるのだと思いました。

今朝すごく死にたかった。振られてしかも話も聞いて貰えないで自分の存在を完全に否定された気分になりました。試しにTシャツで首を締めました。はじめて死ぬ直前までいったと思いました。意識が遠のきました。意識が遠のいたタイミングで都合よく(?)都合悪く(?)彼からのLINEがありました。通知でハッとしました。また死ねなかった、そう思った。顔を確認したらおかしな色になっていました。多分30分ぐらい極度に酸素が入っていなかったんだと思います。顔が内出血しました。でも、はじめて「今死ななくてよかった」って思った。そんぐらいでやっぱり死んじゃいけない。でも今朝の死に対するモチベーションは異常だった。異常に死にたかった。死に興味があった。成功したらほぼ確実に死ねる(Tシャツは今考えれば成功例は稀ですね)方法を取ったのは生まれて初めてだと思いました。飛び降りた経験もありますがその時もどうせ生きるんだろうなって思いながら飛び降りました。今日は確実に死のう、そう思ってた。

私は良くも悪くも人の言葉に生かされている。ほんとにそう思う強く思う。今日も痛感したほんとにそうだ。

でも人の言葉によって「今じゃなくて本当に良かった」「まだ生きて自分を主張したい」「まだ生きて人のことを理解したい」と思った。

私は人の言葉によって生かされていますが、もしかしたら私が死ぬタイミングは人の言葉ではないのかもしれない。そう思った。自分自身のタイミングで死ぬんだと思った。なぜなら人の言葉によって死のうとして後悔したから。あんなに死にたかったのに後悔したから。

生かしておいてくれてありがとう、縄が届いてなかったのでTシャツでしたが私にとっては確実に死ねると思った方法で死のうとした。でも今じゃなくて良かったそう思う。何度も思う。

まだ引かない顔の内出血に明日も「なんでこんなことをしてしまったのだろう」と後悔するのだと思う。でも後悔するべきである。

今私は頑張るべきではない。休むべきである。休んで休んで自分を労わって自分の心に余裕ができた時に再度他人(今回の場合だと彼)との人間関係について考えていくべきなのではないだろうか。休むは怠惰で悪い事だという潜在意識があるので私の場合は休むを頑張る、とも言えるので難しい。

人の言葉によって死んではいけない。自殺は他殺だと思っていたが私の場合は自殺は自殺なんだと思う。私自身の問題で第三者の関わりがなく私だけが私について悩んで悩んで解決しなかった時に死ぬ、そう思う。

まだ悩みが足りてないだからまだ生きる。なんだかんだ生きる。何だかんだ生きてしまう。でも今はそれでいい。

長々とまとまらない文章をすいません。まとまる文章が書けるようになる意志を持てるまで死ねない死なない。おやすみなさい。


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